古川令

何を見せるのか?見せたいのか?

 カードと捨て場の準備ができれば、あとは技法の練習ですが、その前にここで取り上げたいのは、「何を見せるのか?」という命題です。ミリオンカードと言えばカードが出現するマジックという事ですが、その見せ方や考え方の話です。

 ミリオンカードを演じるマジシャンの多くは、器用そうな動きの中から、次から次にカードを出してくるのですが、私からみると、「不思議さ」よりも「テクニック」を見せているケースがほとんどです。不思議さで驚かされる、本当に上手いと思うマジシャンは非常に少ないと思います。

 ミリオンカードにおいても、見せるのは「テクニック」ではなく、あくまで「不思議さ」を追求すべきというのが持論で、「テクニック」を全面に押し出すマジックに「真の不思議さ」はないという見方です。もしテクニックを見せたいのであれば、プロダクションではなく、フラリッシュとして見せれば良いと思います。


The World's Greatest Magic
Published 1976 by Crown Publishers,Inc.
Written by Hyla M.Clark
P.53 CARDINI

 それでは、ミリオンカードで「テクニック」を感じても「不思議さ」が乏しいというのはどういう事でしょうか。それは、「ファンプロダクションで、完全に捨てたように見えない」「パームの手がどこか不自然」といった事で、極論すると、「物理的には空の手」であっても、「心理的には空でない」という事かと思います。

 この事を逆に考えると、ミリオンカードの長い歴史にも関わらず、ファンプロダクションといった基本技法ですら、まだまだ工夫改良の余地があるという見方もできると思います。従って、そこに徹底的にこだわれば、独自のミリオンカードを開拓できるはず・・・という如何にも大それた発想をした次第です。

 私の造語に「有限の不思議」と「無限の不思議」という言葉があります。有限の不思議というのは、テクニックは伝わりますが、不思議さの感動までは伝わりません。一方無限の不思議とは、絶対に空と信じていた手から、カードが出現するような場合で、たった1枚でも非常に(無限に)不思議です。


The World's Greatest Magic
Published 1976 by Crown Publishers,Inc.
Written by Hyla M.Clark
P.57 CHANNING POLLOCK

 無限に不思議な場合には、たった1枚のカードでも観客にインパクトがありますので、同じ枚数のカードでも、無限の不思議の方が有限の不思議よりもはるかに多くのカードが出現したように見えます。

 大学時代のクラブのコーチの「沢山のカードを使って、沢山に見せるのは誰でもできる。少ないカードを使って、いかにも沢山出現したように見せられるのが、本当に上手な人である」という言葉を前回紹介しましたが、そのためには、カードを捨てた手が観客の心理として「完全に空」となる必要があります。カードを補充した気配が伝わると、観客の心理として「判らないけど何かしている」となり、不思議さも無限から有限に変わります。少しでも無限に近づけるためには、テクニック以外にも自然な脱力感やミスディレクションを含めた心理的なトリックも大変重要になります。

 カーディニやポロックの演技をみると、有限を無限の不思議に変えるための緻密な工夫を感じます。私自身はまだまだ発展途上ですが、ミリオンカードのいろいろな技法において、「無限の不思議」を目指した私なりの工夫について、順次書いてみたいと思います。

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