古川令

セントルイスの経済、文化など

 私が最初にセントルイスに駐在した94年には、バドワイザーでお馴染みのアンホイザー・ブッシュ(ビール)、トランスワールド航空(TWA)、マクドネル・ダグラス(航空機)、モンサント(化学品)など、世界的に有名な大企業の本社が数多くセントルイスにあり、セントルイスは中西部の経済の中心地とも言える都市で、セントルイスがTWAのハブ空港であった事もあって、一時は日本からセントルイスの直行便の可能性の話までありました。
 残念ながら、その後TWAはアメリカン航空に、マクドネル・ダグラスはボーイングに買収され、アンホイザー・ブッシュまでがベルギーのインベブに買収されるなど一時の勢いは無くなりました。しかしその中で、一時ファルマシア&アップジョンと合併したモンサントが、その後、改めて植物バイオ分野で独立して世界のトップ企業として頑張っています。

ワシントン大学
ワシントン大学 ブルッキングス・ホール
(1904年の万博で建設、その後移設)

 大学では、セントルイスのワシントン大学(英語ではWashington Universityで、西海岸のUniversity of Washingtonと紛らわしい)の医学部は全米トップレベルです。
 ワシントン大からはノーベル賞受賞者を20数人輩出しているそうで、日本からも多くの留学生が研究をしています。
ちなみに、夜は危険で女性は一人では歩けないという不名誉な評判のある
セントルイス大学でも3名がノーベル賞を受賞したとかで、アメリカの大学の基礎研究のレベルの高さは侮れません。

ミシシッピ川の外輪船
外輪船(Steamboat)「トムソーヤ」

 厳密にはセントルイスではありませんが、トムソーヤの冒険の作者マーク・トウェインが住んでいたハンニバルはセントルイスから車で2時間程度です。ミシシッピ川にはマーク・トウェインが船長をしていたような外輪船が今も走っています。



カジノ・クイーンとゲートウェイアーチ
カジノ・クイーンとゲートウェイアーチ
(St.Louis Business Journal 2008 10.27.)

 全くの蛇足ですが、私の学生時代のミリオンカードには、ビー(Bee)は高いのでグレート・モーグルやスチーム・ボート(Steamboat)を使っていました。ビーと言えば、ギャンブルファンはカジノを思い浮かべると思いますが、カジノについては、アメリカの一部の州では、川の上だけはカジノが合法という面白い法律があります。
 セントルイスでもカジノボート(セントルイスではカジノ・クイーンが有名、
宿泊も可能)と呼ばれる船上でのカジノが楽しめます。

 セントルイスのボタニカル・ガーデン(植物園)も全米トップクラスの規模と研究実績を誇っています。 モンサントが植物バイオの研究拠点をセントルイスにしたのもボタニカル・ガーデンの存在があったからかも知れません。
ここの日本庭園は特に有名で、私が駐在中に天皇皇后両陛下も来園され記念の植樹もされました。また、北米最大規模の“Japan Festival”(日本祭)が毎年9月のレイバー・デイ(労働者の日)の祝日の連休に盛大に開催され、日米の文化交流に役立っています。
 セントルイスは諏訪市と姉妹都市で、日本祭では和太鼓のチームなどが招待され、そのパーフォーマンスは好評です。大道芸として、日本の伝統的な飴細工(造形)と日本的なマジックの組み合わせた日本人(名前は失念しましたが、キャンディー・マンの愛称、フロリダで活躍)のパーフォーマンスが毎年大人気でした。また、コマの大道芸もありました。

 私はミリオンカードしかできませんが、たまに演じた連理の白紙や蜘蛛の糸などのウケが良く、もしちゃんとした和妻ができれば、間違いなくセントルイスでスターになって、道を誤ったかも知れません(笑)。折り紙のマジックも喜ばれますし、日本的なアイテムのマジックは出来るに越した事はありません。
 知り合いのロス在住の女性マジシャンから日本祭への出演希望があり、振袖でマジックをしている彼女のビデオを日本祭の運営委員会(メンバーは主要メンバーはすべて米人)で紹介した事がありました。そのビデオを見て、「衣装は日本のキモノだが、肝心のマジックの部分(ゾンビやフラワーなど)は西洋のものであって、これは日本文化の紹介にならない」という鋭い指摘があって却下されました。
 日本祭がセントルイスの人々に愛される理由は、日本人が運営するのではなく、真の日本文化の紹介を意識した日本通のアメリカ人が中心となって運営されているところにあるように感じます。

ワシントン大学

ワシントン大学
紫のシャツがチャック・ベリー。
最後は観客もステージで踊ります。

 最後に音楽の紹介です。クラシックでは日本にも来日したセントルイス交響楽団が有名です。ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団に次いで、なんと全米で2番目に古いオーケストラです。
 映画スティングの挿入曲“エンターテイナー”(The Entertainer)はマジックのBGMにも使われますが、この曲はスコット・ジョプリンがセントルイスに住んでいた時に作曲され、今は彼が当時住んでいた家が博物館になっています。

 私にとってのセントルイスの音楽の思い出と言えばチャック・ベリーです。驚いた事にまだ現役で、ダウンタウンで月に1回ほどライブをやっていました。

 チャック・ベリーが今も月一でライブをやっている事を駐在先のアメリカ人の営業部長が知らず、私が連れて行ったら非常に感動されました(上の写真も営業部長が撮影)。アメリカで学んだ事のひとつは、アメリカ人だから何でも日本人よりよく知っているという事は無いという事です。  一方アメリカ人はあまり外見でも判断せず、初めての街で私などがアメリカ人から道を聞かれたりします。アメリカの生活では結構面白い経験が沢山ありますが、それは別の機会に・・・

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