長谷和幸

第七回 トッド・ブラウニング「見世物」

トッド・ブラウニング

トッド・ブラウニングは、初回・第二回で取り上げたデヴィッド・L. ヒューイットと同じく、マジック史上は全くの無名です。ただしヒューイットと異なるのは、映画史的には著名な映画監督であり、特に怪奇映画史上では、トップクラスの重要人物である点です。マジックの世界に例えるなら、ウーダン、フーディーニ、ヴァーノン・クラスの存在であると言えるでしょう。
にもかかわらず彼は、B級のショービジネス界を出自とする、珍しい監督です。(もちろん、法律で認められた職業に貴賤はありません。ここでいうB級とは、あくまで予算の掛かっていない、という意味です)

ロベル・ウーダン
ハリー・フーディーニ
ダイ・バーノン

1880年に生まれたブラウニングは平凡な家庭に育ちますが、それに飽きたらず10代の頃旅回りのカーニバルに加わります。カーニバルでは様々な経験をしますが、中でも重要なのは、土中に長時間埋められた後に生還する“ベリード・アライブ(Buried Alive)”の芸の呼び込み(客寄せ)を得意としたことでしょう(本人が実演したとの説もあり)。この演技は近年、デヴィッド・ブレインにより生中継放送され、リバイバル・ヒットしました。

その後ブラウニングは、一時期アレキサンダー・ハーマンの甥レオン・ハーマンのアシスタントをしていました。更にかのアメリカ映画の父・D.W.グリフィスに見い出だされ、俳優に転向します。正に順風満帆かと思われましたが、好事魔多し、1915年飲酒運転で交通事故を起こして同乗者を死亡させ、自身も脚を痛めてしまいます。そこで俳優として大成することを諦め、映画監督に転向することになるのですが、その監督として歴史に名を残すことになるわけですから、正に人生何が奏功するか分かりません。しかし以後、ブラウニングの監督作には、カーニバルでの生活・身体の損傷といった経験が、暗い影を落とすことになるのですが…。

さてそのブラウニングは、1920~30年代、つまりちょうどサイレントからトーキー(音の出る映画)への映画の過渡期に、両方にまたがって活躍することとなります。サイレント期には主にロン・チェイニーと、トーキーになってからはベラ・ルゴシとの名コンビで活躍しますが、二人はブラウニングとのコンビのおかげで、各々サイレント・トーキー映画界の最大の怪奇映画俳優として大成します。そこにはもちろん、演出家ブラウニングの力があったことは論を待ちません。 一方そのブラウニングは、映画人生において二本の突出して著名な作品を残すこととなります。それが「魔人ドラキュラ」と「怪物団」です。

「魔人ドラキュラ」は1931年作品、現在に続くユニヴァーサルのモンスター・シリーズ(フランケンシュタイン・ミイラ・狼男etc.)の記念すべき第一作であるばかりでなく、アメリカ長編劇映画史上初めて超自然現象・架空の怪物の存在を扱った作品である、と言われています。

ドラキュラ伯爵に扮するベラ・ルゴシ
「魔人ドラキュラ」のポスター


トッド・ブラウニングの
「フリークス」の広告

ドラキュラ役のベラ・ルゴシを一躍スターダムに押し上げただけでなく、ドラキュラといえば正装にケープ、というイメージを一般に決定付けました。(同作は、ブラム・ストーカーの原作小説に基づくブロードウェイ舞台劇の映画化。ちなみに舞台版のマジック効果担当は、サーストンやフーディーニのイリュージョン考案者として高名なガイ・ジャレット)
「魔人ドラキュラ」大ヒットの後、当然ながらブラウニングには次回作のオファーが次々舞い込みます。正に今度こそ順風満帆かと思われましたが、そこで翌年手掛けた一本の作品が、再び彼の人生を大きく左右します。それが「怪物団」です。

「怪物団」は1932年作品、現在では再公開&DVD題「フリークス」の方が通りが良いでしょうか。 舞台は身体障がい者を見世物にするカーニバル。一座の花形美女が財産目当てにメンバーの一人と結婚するが、披露宴の夜その下心が発覚、美女はメンバー達の復讐を受ける、というあらすじです。それだけで内容が物議を醸すことは容易に想像がつきますが、問題は劇中の障がい者に、全て本物をキャスティングしたことです(出演者の一人、下半身の無い男性ジョニー・エックは十代の時、人体切断のマジックショーで切断される役を務めました。このトリックは、近年ケヴィン・ジェイムスによって再演されます)。当時の劇場内は逃げ出す観客で阿鼻叫喚、イギリスでは30年間上映禁止となり、結果的にブラウニングの以後のキャリアに重大な影響を及ぼしました。

「フリークス」出演者
右の人物がブラウニング
「フリークス」のワンシーン

同作には“障がい者を怪物扱いした唾棄すべき作品”という見方と“カーニバルでの経験のあるブラウニングが、そこに暮らす人々を愛情ある眼差しで見つめた作品”という相反する二つの見解がありますが、但し本稿の論旨は映画史ではありませんので、ここではこれ以上触れません。

さて、そんな波乱万丈の生涯をおくったブラウニングですが、その映画は「三人」「黒い鳥」「知られぬ人」‘London After Midnight’等、ストーリー中変装トリックが大きな要素を占める作品の多いのが特徴の一つです。また例えば「白虎」(1923年)にはメルツェルのチェス人形が、「ザンジバーの西」(1928年)には、箱の中で女性が徐々に骸骨に変わる鏡仕掛けのイリュージョンが登場します。そして中でも特に二つの作品が、マジックを大きく扱っています。すなわち「見世物」と、遺作となった「帽子から飛び出した死(DVD)」です。

「白虎」(1923年)
「ザンジバーの西」の広告(1928年)

「見世物」は1927年のサイレント作品で原題は‘The Show’。
巡回カーニバルでの愛憎劇を描いたブラウニングらしい作品ですが、まず劇場外での呼び込みのシーンで、客寄せに人体浮揚が演じられます。映画であれば様々な映像トリックが使用できますから、もっと効果的な浮揚も演じられた筈ですが、わざわざ律儀に、周りを囲まれてもタネの露見しない「ブルーム・サスペンション」(アシスタントの脇に棒を当てて横向きにする。考案はロベール・ウーダン)を採用しています。あるいはこれは、ブラウニングの実体験なのかもしれません。
さて、劇場内に入ると、空中の手がチケットを千切り、上半身だけの女性や首だけ女性の巨大蜘蛛、水槽の中の人魚が出迎えます。これらには、鏡を斜め45度に張り、そこに何もないかのように見せる原理が多用されます。
劇中最大の見せ場は、サロメ劇のシーンです。サロメの願いでヨカナーン(ヨハネ)の首が切断され、その後テーブル上に置かれた生首が喋り始めますが、仕掛けのある刃とすり替えた後、スイッチを押すと首を乗せる台の一部が窪み、そして仕掛けテーブルを用いて生首が生きているかのように見せる流れとなります。ここで首切り役が密かにすり代わり、マジックに見せかけてヨカナーンの首が実際に切られそうになるサスペンスがドラマのクライマックスとなるのですが、そこで演出上の必然性としてトリックの詳細が劇中種明かしされます。

ちなみに1915年、オスカー・ワイルド作の戯曲「サロメ」が、当時の人気女優松井須磨子に対抗する形で、初代松旭斎天勝によりすでに演じられています。やはり首切りのシーンには、同様のトリックが用いられていたと推察されます。もし後年天勝がこの映画を観ていたとしたら、いったいどのような感想をもったのでしょうか。

映画「見世物」は、公開後長らく観賞困難な状態にありましたが、DVD発売の予定だった他のブラウニング作品がある事情により発売中止となったため、その代替商品として、売り上げの見込みの薄いサイレント作品であるにもかかわらず急遽DVDが販売されました。我々マジシャンは、あるいは“ある事情”に 感謝すべきかもしれません。

さて、ブラウニングにはマジック史上見逃せない作品としてもう一本「帽子から飛び出した死(DVD)」があるのですが、氏のプロフィールに文字を割き過ぎたためあいにく紙数が尽きました。 それはまた次回、第八回にて解説致します。

※参考文献:
「フリークスを撮った男/トッド・ブラウニング伝 」(デヴィッド・J・スカル エリアス・サヴァダ 水声社)
「興行師たちの映画史」(柳下毅一郎 青土社)参考映像「見世物」DVD (ブロードウェイ)

※画像出典:
IMDb(Internet Movie Database)
Englishlanguage-Wikipedia


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