平川一彦

私とエド・マーロー
第3回

<マーローの研究姿勢>

 ある町の昔からあるマジックショップに、エディ・マルコウスキーという1人のスキー帽を被ったポーランド人の若者が来ました。

 彼はハイとかイイエくらいしか言わないような非常にもの静かな若者だったようです。高校卒業後に機械を扱う店に勤めて、素晴しい才能のあるムリエルという女性と結婚して、息子さん、娘さんとその娘婿とその子供たちに囲まれて生活していました。彼こそ、エドワード・マーローその人です。

 マーローを研究していくと、彼は非常に集中力のある人だということが分かります。それは、あの膨大な著作を見れば一目瞭然です。

 テクニック、トリック、アイディア、そして改良・改案を、彼はどんなときに創造するのでしょう。マーローの作品を研究していくと気がつくことがあります。それは、彼が考えたトリックには全て日付けが書いてあるということです。これは他のマジシャンには、ほとんど見られません。

 この日付けが意味することを理解できたのは、かなり後のことでした。

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 マーローの友人であるフランシス・アイルランド・マーシャル氏によれば、マーローは、発表されたどんな種類のマジックでも全て注意深く読んで、彼が考えたトリックが、他人が考えた同じようなトリックに偶然にも出くわした場合に、自分の作品といかなる違いがあるのか、という考え方の比較をしたそうです。

 だからと言って、誰かに何かを言うわけではなく、それはただ学校のテストみたいなものです。と、言っています。

 つまり、他人の作品との比較をするために、自分の作品を探す目的で、日付けを書いたわけです。しかも、それに対して文句を言わないのは、マーローの寛大さがそこにあるのでしょう。

 また、マーシャル氏は次のようにも言っています。“もし、あなたが、まさにエド・マーローならば、他人に対して心を広く、大きく持つ余裕ができるでしょう”と。

 また、マーローは、どんなトリックについても思いついたことは細部にいたるまで、広い行間をあけて、読みやすく書き留めるとのことです。事実、彼の本を見ると、その詳細さが良く分かります。彼の作品中には、これは、誰々の作品を参考にしたとか、この人のこのテクニックは、私のこれと似ているが、私のは、ここが違うとか、誰々の作品を参考にしてください。などと必ず他人の名前・作品名が出てきます。

 マーローの本を読んでいると、彼は非常に真面目な、言い換えると頑固な性格、もっと言い換えると、ポーランド人の気質なのか、ダメなものはダメ、こうあるべきだ、という性格が良く出ています。マーローはある本に、多くのカードマンは彼ら自身のカード研究を完成させるためには、もっと勉強すべきであり、もっと多くの練習をすべきである、という趣旨の言葉を書いていたように記憶しています。

<幼少時のエピソード>

 私の親しい友人にO氏というマジック研究家がいます。その彼が私に、マーローが一番多く手懸けたテクニックは何ですか?パスではないでしょうか?と聞いたことがあります。

 確かにマーローの本を見ると、パスに関して彼は頁を多く使用しています。そして、それに頷けるエピソードがあります。

 マーローの本には、彼の名前がエドワード・マーロー、エド・マーロー、エドワード・マルコウスキー、エド・ウォルシュ、などと書いてあり、さらに、彼が子供のころは愛称のエディと呼ばれていました。そのエディが父親とある所でマジックを見ている時に、以前自分がその不思議さに魅了されたことがあったので、今度は自分が人を魅了してしまおうと決心したのです。

 1週間位して、エディは非常に困惑した表情で、“The Art of Magic.”という本を見ているのです。なぜ困惑しているかというと、その本の中のある言葉の意味がわからなかったからです。

 その言葉とは、“コインを左手に入れなさい。でも、それは右手に保持しなさい。”

 彼の純真な頭では、左手に入れたコインを右手に持っているなんて想像できなかったのでしょう。そこで彼は、そのテクニックの項目を見て“パス”という言葉を知りますが、読んでみても、はっきりとしなかったので、彼はうんざりして、その本を机の中に入れてしまいました。

 その後、エディは再び机の引き出しを開けて、埃だらけの本を取り出して頁を開きました。“ザ・パス”という言葉が目に入ってきました。再び、その神秘的なテクニックに彼の心が書きたてられてその本を読みましたが、まだ理解できなかったのです。

 しかし、今度は決して諦めないと堅く決心して、父親に助けを求めました。父親がニコニコしながら説明すると、エディは、その意外な新事実に彼の目玉がほとんど飛び出んばかりに驚き、そして少し何かが分かったような気がしたのです。

 また、彼は“カードマジック”という本からも、読書と実地訓練がその動作をより簡単にマスターできるという助言や、演技者にとって不可欠な自信、そして、台詞や、視覚や、プロとしての心構えなど貴重な知識を得ます。

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 私は、マーローに出会うまでは、1・2種類のパスを使い分ける程度でした。というより、それぐらいしか知らなかったし、また使いたくなかったのです。なぜなら、それまで多くの人のパスを見ましたが、全て、パスをやったなと分かってしまったからです。それほどパスは難しいテクニックの一つなのです。

 私の良きライバルのY氏が私に“パスは、カードマジックをやる人にとって永遠の課題なんでしょうね”といったことがありますが、まさにその通りだと思います。

 マーローズマガジン、ミント、その他のマーローの本を見ても、全てにパスが解説されています。私はマーローをやりだしてから、彼の多くのパスを使うようになりました。中には、“これがパス?”というようなものがたくさんあります。しかし、それらは確かに“パス”なのです。それらに出会った時は、言葉が出ない程に感動しました。

 さて、話を戻すと、エディは多くの知識を得ましたが、しかし、彼の人を魅惑するという夢はまだで、これから実現することになっていくのです。エディは学校で、特徴的なデビューを経験します。ある日、先生から、近くこの町の市長が学校を訪問するので、その際に、各クラスごとに市長歓迎の意味で、何か演技をやってほしい、と校長先生が言っていると聞かされます。

 当日、会場は、先生や生徒やその親達で一杯に混んでいました。市長が到着して歓迎の挨拶がすむと、会場のステージだけを除いて、他全てのライトが消えて演技が始まりました。ピアノ演奏、アクロバット曲芸、そして歌と進んでいき、最後の演目が“皆さんを魅惑するエド・ウォルシュ”とアナウンスされました。

 彼はまず、少し緊張した声で演技の種類を説明してから、いくつかのマジック― どこからともなくコイン、カード、そしてハンカチーフなどを取り出して、それらをまさに神秘的に、意味ありげに消してしまう ―を演じました。そして次に、彼が大きく目立つ瞬間になった最後の演技に入ります。

 エディは、それぞれ赤、白、青に彩られた3枚の大きくて四角いティッシュペーパーの表と裏を見せて、それを小片に引き裂いて、全てをくしゃくしゃにつぶして一個のボールの塊にします。その間エディは、ずっとしゃべりながら、今度はそのボールを再び広げていくと、なんと彼は、引き裂かれた小片ではなく、“市長歓迎”と横一文字に書かれた大きなアメリカ国旗を取り出したのです。

 会場には耳をつんざくような拍手が起こり、エディは微笑みながらその旗を市長に渡してステージの後ろへ行き、幕が下りてきました。ショーは大成功でした。彼は市長と握手ができたばかりでなく、彼の夢が実現できたのです。すなわち彼は、以前に自分が魅了された人々を、今度は自分が魅了させることができたのです。夢の実現ほど素敵なものはありません。

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