松山光伸

マジシャンが心すべき新たな13原則
第1回

日本でのみ知られている「サーストンの3原則」

  「サーストンの3原則」の出所は長らく謎であった。 昭和40年代初期の頃、松田道弘氏(関西在住の著名な奇術家)が時々上京されるたびに高木重朗氏と情報交換をされていたが、或る時松田氏が「サーストンの3原則の出所を調べてもなかなか分からない・・」と尋ねられたのに対し、「実は私もよくわからない」と応えたというエピソードを当の高木氏から伺ったことがあった。当時あまり気にしていなかったことだけに松田氏の着眼点に妙に感心させられた記憶がある。
それから四半世紀たった平成5年12月、出所の解明に向けた動きが一つの記事がきっかけになってはじまった。 「ザ・マジック」誌18号に寄稿した私の『マジシャンに求められる「6項目の行動規範」』という記事がそれでした。

 当時マジック界で問題になっていた諸々のトラブルをアメリカの二つの大きな奇術団体(注1) が「マジシャンが心すべき六つの事項」として整理し世界のマジシャンに呼びかけたという紹介記事でした(注2)
 その行動規範は「暴露を目的とした種明かしの厳禁」「海賊コピーの排除や著作権の遵守」「マジックで使う動物への虐待禁止」など新時代にマッチしたルールを提言したもので、どちらかというと道徳的・倫理的な側面にスポットをあてた内容でした。それに対しビデオの普及で繰り返し鑑賞できる楽しみ方が一般的になってきたため「サーストンの三原則」は時代にそぐわなくなっていることにも触れ、併せて ”Thurston’s 200 TRICKS YOU CAN DO”が「三原則」の出所になっている可能性についても言及してみたのです。

注1:
International Brotherhood of Magicians (IBM)とSociety of American Magicians (SAM)の両団体。

注2:
http://www.tokyomagic.jp/labyrinth/matsuyama/original-01.htm

それからしばらくして忘れかけた頃、「三原則」の謎について興味を持たれた村上健治氏(当時関西TV勤務)から ”Thurston’s 200 TRICKS YOU CAN DO” の該当ページを見たいとの問い合わせがあり、その考察結果が公になりました。驚いたことにこの三原則は日本の伝統芸である能楽の虎の巻「花伝書」の教えと相通ずるものがあるという指摘でした(注3)。また石田隆信氏(関西の奇術研究家)は独自に可能性の高い米国における元ネタについて調査を進められており(注4)、この謎の解明が一気に進みました。その結果、現在では、1922年に世に出た “Thurston’s MAGIC BOX OF CANDY” が原典であろうとする石田氏の説がもっとも信頼度の高いものになっています。この “MAGIC BOX OF CANDY”というのは文字通りマジックが入っているキャンディボックス(注5)で、そこに一緒に入っていたHow to Learn Magicという説明文に「三原則」が書かれていたのです。書籍で紹介されたものではなく、また「サーストンの」という定冠詞がついた説明にもなっていなかったため欧米でも知られていなかったという事情も頷けるものでした。

「サーストンの三原則」の元ネタと思われる解説文

注3:村上健治氏の記事は『ザ・マジック』誌の45号にあります。
注4:石田隆信氏の研究は『ザ・マジック』誌の46号にあります。
注5:簡単なマジックが入っているもので「グリコのおまけ」の巨大なものをイメージしていただければいいでしょう。


こうして、原典の方が先に確定する経緯をたどったわけですが、それが日本に翻訳紹介されたのが何年頃なのかがなかなか突き止められないままでした。坂本種芳の著作で昭和30年以降に現れはじめた言葉だったのでその直前に誰かが紹介したものと思われていましたが、或る時坂本圭史氏に伺ったところ、「サーストンの三原則」は昭和12年に出されたTAMC会報(12月号:発行は翌年1月)で坂本種芳が紹介したものであるとの即答をいただきました(ちなみに坂本圭史氏は坂本種芳のご長男です)。あっけなく初見が判明したことに驚きました。

TAMC会報(昭和12年12月号)の表紙(一部)

ただ、坂本種芳が一般には手に入れにくい “Thurston’s MAGIC BOX OF CANDY” をどのように手に入れたかという謎が残りました。Candyが発売された1922年(大正11年)以降に米国に渡った日本人としては天勝と天海がいるので(前者は大正13年7月から1年間、後者は大正13年以降長期間)がいるのでこの二人のいずれかが帰国時にお土産として持ちかえり、それが坂本種芳の手に渡った可能性があるのではないかと拙著「実証・日本の手品史」の中では推測しましたが(p.285)、どうやらどちらも的外れだったように思います。というのも坂本種芳が発表したのは昭和13年のことでしたからかなりの年月を経てこのボックスを手に入れたことになってしまいます。書籍であれば十分ありうることですが壊れやすいボックスが市場でまだ手に入ったとは思いにくいのです。他の可能性を指摘してくれたのは米国の友人でした。

ジョン・マルホランド

 実は、このキャンディ・ボックスに使われた手品のネタは50種類あり、その対象の選定や制作アドバイザーにはジョン・マルホランドとウォルター・ギブソンが当たっていました。一方、昭和7年(1932年)10月末から緒方知三郎が米欧の各地を立ち寄りながら半年に及ぶマジック行脚を行っていますが、ニューヨークをはじめとして1ケ月半に及ぶ米国東海岸の全日程についてはジョン・マルホランド(John Mulholland)がアレンジするなど世話になっていたことが分かっています。 帰国後もスフィンクス誌での日本特集号の実現に向け原稿依頼を寄せてくるなど親しく交流を行っていました。そのマルホランドがキャンディ・ボックスの制作の当事者であったことを考えると彼の手元にはサンプルとしていくつものボックスが残っていてしかるべきであり、それが緒方にプレゼントされ、帰国後坂本の手に渡った可能性が高いのではないかというものです。この説がもっとも説得力があります。

”Modern Magic” (1876年)にあった類似の原則

マジシャンにとって、洋の東西を問わずそのタネや演じ方が他人に知られないよう細心の注意を払うことは一般的でした。マジックで生計をたてるものにとってそのタネを開陳してしまうような行為は自らの首を絞めるようなものだからです。ところがプロが演ずるようなネタまでも書籍で解説してしまった人物がいました。イギリスの弁護士で奇術研究家でもあったプロフェッサー・ホフマン(本名Angelo John Lewis:1839-1919)がその人です。1876年にモダン・マジック(Modern Magic)という部厚い解説本を一般書店で販売するや、その暴挙に大方のマジシャンから非難の声が上がったことはよく知られています(この本の内容の一部はその数年前から雑誌に連載されていたものです)。それまでも種明かし本はないわけではありませんでしたが、これは過去の著名な本で解説されているものも含め百科事典的に最新のマジックを解説していた500ページを優に超える本だったため特にマジシャン志望の人にとってはバイブルのようなものとして扱われたともいわれ、初版2千部は7週間で完売したと伝えられています。

 
プロフェッサー・ホフマン
 
Modern Magic(1876年出版)の 表紙

プロが演ずる演目も含め百科事典的なものとして公刊してしまったので影響は多大でしたが、これがあったおかげでその後のアマチュア層が増加するなどマジックの発展につながったとの評価にもつながったエポックメイキングなものとなりました。ただ、既存のマジシャンからの手厳しい反響を予想してかホフマンはこの本の「前書き」の部分でマジックを演ずる上でやってはならない注意点をいくつか記しています。

その中に、特にイタリック体で強調しているところが二点ありました。そしてそれらはいずれもいわゆる「サーストンの三原則」に含まれているものと同じものだったのです。その第一は、以下にあるように「これから演ずることについて事前にお客さんに話してはいけない」という部分です。



続けて同様の趣旨で、「同じトリックを同日に続けて演じてはいけない」ということを次のように述べています。



ここには「サーストンの三原則」にあった「種明かしの禁止」については書かれていません。それはホフマンが示した上記の二つの注意点がどちらもタネを悟られないためのルールである以上、種明かしの禁止などは言わずもがなという判断があったのではないかと想像できます。
またイタリック体にはなっていないものの、この二大原則以外にも重要なアドバイスが述べられています。そこに書かれているのは「同じトリックをいろいろな他の手法を使ってバリエーションを演ずることができるよう、いつも準備しておくことが重要です。それによってアンコールを熱望された時には少し形を変えて演ずることができます」というものです。

“Modern Magic” が参考にしたルール

ホフマンの “Modern Magic” 以前にはマジックに興味のある一般の人が入手できる総合的な解説本というのはイギリスには存在していませんでした。そこに着目したホフマンは既に大陸から伝わってきているマジック本などを参考にしてこの本をまとめたのです。実際、まえがき部分の心構えについてはフランスのオンリ・デクロンの著作の中にあった「マジシャンに求められる13の原則」の中から拾ったものであることをマジック書の著者であり収集家でもあったアドリアン・スミス(H. Adrian Smith:1908 - 1992)が1981年に明らかにしています。

次 回