松山光伸

海外のマジック解説本の翻訳に際しての注意点
(その1:著作権条約の基礎知識)

 著作権の話題としては、すでに日本人による日本語の著作における著作権の保護期間について述べてきました。今回は海外のマジックの著作物の場合はどのように考えたらいいのかという疑問について考えることにします。
 多くのマジシャンや研究家の大多数の方は日本と全く同じように翻訳出版の可否を判断すればいいものと理解されているようです。というのも現在では主要国と言われる国ではほとんどが日本と同じように著作物の保護期間は著者の没後70年迄保護されるようになっているからです。
 ところが意外にもそれほど単純ではないのです。そのことを理解するために歴史的な経緯や日本独自の事情を知る必要があります。以下、2回にわたって、事例を取り上げながら詳しく説明することにします。

 著作物の保護に関する条約にはいくつか原則があります。ベルヌ条約(欧州や日本は古くから加入)、万国著作権条約(アメリカ合衆国はベルヌ条約加盟が遅かったため日本との間ではかなりの期間この条約で両国の著作権を保護)、日米著作権条約(万国著作権条約以前に結ばれていた二国間条約)などでは、外国の著作物について自国の著作物と同じように保護することが定められています(これを内国民待遇の原則といいます)。言い換えれば海外の著作物といえども日本では日本の著作権法が適用になります。

 但し、著作物の保護期間に関してはいつも日本の著作権法を適用すればいいということではありません。例えば、ベルヌ条約や万国著作権条約では相互主義という考え方があって、相手国の保護期間が自国より短いケースでは、その短い期間を保護すればいいように規定されています。実際、ある時期に出版されたアメリカ本国での著作物の保護期間が日本で保護すべき期間より短いケースもあり、その場合は短い期間に合わせて保護すればよいということになります。その逆に日米著作権条約の時代は、相互主義が規定されていませんでした。従って、当時のアメリカの著作の保護期間が日本より短かったり、その後バブリックドメインになっていたりしても、日本では引き続き日本の著作権法に基づいて保護しなければならないということになっています。

 これとは別にもう一つ戦時加算という厄介なものがあります。第二次世界大戦で日本が敗戦したために、戦勝国だった連合国側と日本が交わしたサンフランシスコ平和条約の中で盛り込まれた規定です。その内容は、第二次世界大戦前または大戦中に連合国国民が取得した著作権については、通常の保護期間に戦争期間を加算する、というものです。戦争の終結日はサンフランシスコ条約が効力を生ずる日(1952年4月28日)の前日までとされ、例えばアメリカやイギリスの戦前の著作については3794日(10年5ヶ月弱)と長期の加算が必要になります。

 さて以上の予備知識をもとに、ここではアメリカの著作に関して日本での保護期間を説明します。日本で最もよく読まれる機会のあるのがアメリカの著作であり、また戦時加算など例外規定の多いアメリカの著作物の保護期間について事例を知っておけば、イギリスの著作にも応用ができるからです。文章では混乱しやすいので一覧表で説明します。


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2つを並べて表示することによって一覧表を見ながら本文を読み進むことができます。

 まず表の見方を説明します。著作権が現時点で有効かどうかというのは、著者自身が著作権者であるとの前提を置けば、①著者の没年、②著作が公開された年、の2つの要因で決まります。ですからそれらを縦軸と横軸にとったのがこの一覧表です。知りたい著作の公開(出版)年が横軸のどこに位置するかを見定め、次に著者の没年を左側の縦軸で探して、その両者が交差する位置の色を見ます。それが「緑」であれば現時点でパブリック・ドメイン(著作権フリー)であり、「白」であればいまだに著作権の保護期間内にあるということになります。ただ、これは日本における現時点での著作権の状況を知るためのものであって(内国民待遇で考えるので日本の新旧著作権法が適用されています)、その著作が本国で著作権フリーであるか否かということとは無関係です。実際、本国でパブリック・ドメインのものが日本では保護期間として扱われるものがあるほか、その逆もあります。

 事例で説明します。 “The Royal Road to Card Magic”(1948年刊)という有名なマジック解説書があります。ジーン・ヒューガード(Jean Hugard:1971-1959)とフレッド・ブローイ(Fred Braue:1906-1962)がカードマジックの基本技法とそれを使ったマジックを解説したもので、英米では多くのマジシャンがカードマジックを志す人に推薦している良書です。

THE ROYAL ROAD TO CARD MAGIC

 さて共著による著作の場合、保護期間は著者の中の最後に亡くなった人(ブローイ)の没年で決まります。横軸(出版年)で1948年を探し、縦軸でブローイが亡くなった1962年との交点を見ると「緑色」になっていますから現時点ですでにパブリック・ドメイン(PD)になっていると分かります。

 もう一つ、同じくヒューガードとブローイの共著になる “Expert Card Technique”(1940年刊)を考えてみます。同様に横軸の1940年の位置と縦軸の1962年の交点を見ると「白色」になっていますからこちらの著作はいまだに保護期間内にあるということになります。

 以上、二人の二冊の事例を取り上げて一覧表の基本的な使い方を示しましたが、どうしてこのような一覧表になるのか疑問に思われる方は多いはずです。その点については後段で説明を加えましたので興味のある方は一読ください。

 さて、一覧表で基本的なことを把握したら、次にやるべきことは原著を実際に見て著作権表示の欄を確認することです。それは表紙から数ページ内のところに記されています。“The Royal Road to Card Magic”でそれを見るとそこには “Copyright 1948 by Harper and Brothers” と記されていて実際には著者が著作権者でなかったことが分かります。ニューヨークの出版社であるHarper and Brothers社との相談の結果、ヒューガードとブローイの二人が著作を委嘱されるという形態をとったものと思われます。著者が出版社の社員であれば職務著作として著作権者は出版社になって保護期間は出版後50年間になりますが、このケースは職務著作ではありませんからヒューガードとブローイに著作権が生じます。ただ著作完了後に、彼らの著作権(著者の没後50年迄)を出版社に譲渡する契約が取り交わされる約束になっていて、その結果“Copyright 1948 by Harper and Brothers” と記されて発刊になった可能性が高いように思います。英米のマジック解説書では時々見受けられるケースです。

 もう一つの注意点はイラストです。“The Royal Road to Card Magic” も “Expert Card Technique”もイラストが描かれています。実は、イラストの場合も著作権法上は「思想または感情を創作的に表現したもの」については著作物性を持つとされており、その場合は独自の著作権が認められていてイラストレーターの没後50年(現在は70年)プラス戦時加算の保護期間が与えられています。ですから一般的にカードの並べ方や持ち方を図示した程度のイラストでは著作物性は認められないと思われます。いずれにせよ注意を要するところです。

 最後に重要なポイントがあります。上記の説明は一般の著作権(原文の複製権・口述権・翻案権や、写真・イラストなど多岐にわたる)について、現時点でフリーなのかどうか調べる方法を解説したものです。ところが翻訳に限っていえばルールはかなり異なる部分があります。そのことは一覧表の最下段の【注3】で簡単にふれましたが、マジック書に関しては翻訳が最も重要な関心事ですから、そのことについては次回更に詳しく解説を試みたいと思います。

補足:一欄表についての詳細説明

 この一覧表は、著者の没年によって大きく3つのエリアに分かれています。まず最上段にある「著者が1968年以降に亡くなった」ケースを考えます。結論としては、彼らの著作はその出版日の時期にかかわらず現在も保護の対象になっています(但し【注2】で示した時期に出版されたアメリカの著作の一部には例外があります)。その理由はその前年に当たる1967年に亡くなった人を考えれば分かりやすいと思います。日本の著作権法では数年前まで没後50年が保護期間であったため1967年没の方の権利は2017年末で終了しますが、翌1968年に亡くなった人の著作の保護期間は2018年末で終了するわけではありません。その保護期間が満了する2018年31日の前日に発効となった著作権法改正(TPP11の発効に伴う改正)によって保護期間が70年に延長となり一気に2038年(1968+70)迄著作権が続くことになったのです。従って1968年以降に亡くなった方の著作となると更に先まで保護が続くというわけです。ですからこれらの著作を使いたい時には使用許諾を得る必要があります。

 次に最下段にある「著者が1957年末までに亡くなった」ケースを考えます。いずれもその著作物は出版年に関係なくパブリック・ドメインです(表中ではPDと表示)。例えば、戦前や戦中に出版になった彼らの著作物の保護期間は、日米著作権条約の時代に始まりますが、当時の国内法だった旧著作権法では保護期間が当初は没後30年で、それが徐々に延長され、現行著作権法への移行時点で引き続き保護期間にあったものは自動的に没後50年に延長されました。戦前・戦中の出版物の場合はそれに加えて戦時加算が必要ですが、それでも没後50年プラス戦時加算(最長で10年5ヶ月弱)迄、すなわち最長でも没後60年と5カ月弱を経ればパブリック・ドメインになります。これを1957年に亡くなった人で考えたとしても、2018年5月(1957+60年5ヶ月)で保護期間が終了したことを意味し、保護期間が70年に延長された2018年12月30日の法改正の効力を享受するには至らなかったというわけです。

 最後に中段で示した「著者が1958年から1967年の間に亡くなった」ケースを考えます。一見すると、古い著作物がいまだに保護対象で、新しいものがパブリック・ドメインになっていることに違和感を持つ方がいるかも知れませんがこれは誤りではありません。保護期間中に戦時を経ている古い著作物には戦時加算が行われるため著者の没後の権利期間がその分長くなりますし、更にそのことによって保護期間が2018年12月30日の法改正まで効力が続いた結果、ベースとなる保護期間が没後50年から70年に延長されているためです。一方、左右を分けている境界線は階段状になります。例えば1967年没の人が1951年5月1日に出版した著作であれば戦時期間は363日ですから没後50年と合わせると、2018年12月29日でパブリック・ドメインとなりますが(保護期間が没後70年となった2018年12月30日の法改正の効力は及びません)、その前日の4月30日より前に出版したものでは法改正の発効日に重なって保護期間が延長されるというわけです(戦時加算の期間は日割計算です)。同様にして、著者の没年が1年ずつ早くなる(下の段に移動する)に従ってパブリック・ドメインとなる2018年12月29日までの戦時期間プラス没後の合計年数は1年ずつ長くできますから緑色の階段の先端は前方にずれることになり階段状になるというわけです(先端の日付が5/1と4/30のケースがあるのは閏年があるためです)。

【2021-3-7記】

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