松山光伸

「オリジナリティ」と「権利」 第4回

2.奇術界の論争(海外の事例)

 著作権法を中心にいくつか基本的なことを見てきましたが、全般的な枠組みは海外でも大差ありません。 例えば、私の手元にある米国の "Copyright Law" という条文集は日本の著作権法と驚くほど似た内容になっています(日米ともにベルヌ条約に加盟しているため当然のことではありますが)。 ところが、これらは特にマジックを念頭においたものではないため、個々のケースをこの法律で裁こうとすると極めて難しい面があります。
 コンピュータ・プログラムのように商業的にも技術的にも影響が大きくなっているものは法律面での見直しなど環境整備も鋭意行われてきましたが、マジックの場合はそのような必然性がないため今後も状況が変わる可能性はないと言っていいでしょう。 そこで奇術界に身を置くものとしては、法の精神を念頭におきつつ、現実に起こっている論争を参考にしながら、我々自身の手で解決策を考えていくことが必要になります。

 さて具体的な論争ですが、これは主として海外の奇術雑誌で散見されます。 活字に残る応酬だけに無責任な論評は少なく、また当事者同志の言い分がダイレクトに掲載されるケースが多いため、彼らの利害関係や奇術界の課題がどの辺にあるのかが判かり、生きた動向記事として興味深いものです。
 最近では数ページに亘るテーマ記事として取りあげられる機会も多くなり、また、読者のページ(意見欄)で論議が発展していく例もよく見られます。

 内容的には、レクチャービデオのコピー問題、ものまね演技の是非の問題、出版物による権利のない作品の種明し問題、コピー商品の問題、公知になった奇術を他人がレクチャーすることの是非、など幅広い論議があります。ものまね演技(コピー演技)は法的には違法ではありませんし、ビデオコピーの問題も基本的には音楽テープの扱いと同じだと考えればいいので、ここではそれ以外の代表的な2、3の論議を中心に見ていきます。

2-1.アイデアの盗用や無断商品化に関する問題

 唯一の奇術週刊誌である英国のアブラカダブラ誌(略称ABRA:発行部数2千部)の2266号(1989/7/1)の巻頭言で、編集発行人であるドナルド・ビーバン氏が米国のGENII誌の記事に激しく噛みついています。
 これは同誌に毎月連載しているポール・オズボーン氏の舞台用大道具のデザインスケッチの中に、英国のロバート・ハービン氏考案のジグ・ザグ・ガールの基本設計が断りなしに描かれ(1988年12月号への掲載ですが実際に発行されたのは1989年5月)、なおかつその著作権がポール・オズボーン氏のものとして権利主張されていることを問題視したもので、完全な盗用例として糾弾しています。
 この中でGENII誌の発行人であるビル・ラーセン氏も掲載を許した当事者として、その見識のなさ(たった3ドルに満たない購読料で7千人の読者が読む媒体にこの盗作記事を載せたとして)を責められています。

Genii誌の1988年12月号に掲載されたオズボーンのデザインによるジグ・ザグ・ガールの図面

 本件については英国側からポール・ダニエルスも加勢してGENII誌に質問状を突きつける騒ぎとなり、オズボーンは誌面で反論を行うことになりました(1989年2月号への掲載ですが実際に発行されたのは1989年7月)。 いわく「10歳の時からGenii誌を通じて学んだものとしていつも読者の立場になって記事を書いているが、 今日に至るまで99%は自分のアイデアを寄稿してきており盗用したことはない」と述べています。 その上で「自分はハービンではないが、自分なりに工夫してアチコチで広く演じてきたことに誇りを持っておりそういった活動を通じて自分が先人達から多くを学んだと同じように次の世代のマジシャンが参考にしてくれることを願っている」と続けています。
 また「グレートトリックと言われているものを改変したり現代風にしたりして読者に提供することは、昔から続いている「カップと玉」をそれぞれのマジシャンが自分自身のやり方で演じることと同じことだと思っている。「カップと玉」を演ずることが権利の侵害とか盗用だと指摘されるような行為ではないはずで、そういう類のことを図解で連載しているのが自分のやっていることに過ぎない」とも反論して理解を求めています。

 奇術のタネの権利は、それが商品として売られる場合、特許やトレードシークレットで権利主張できない限り、法的な保護は困難です。

 では、自分だけの秘法にして販売しなければどうでしょうか。 この場合も、第三者が同じ現象を独自の工夫によって実現するケースはよく見られることで、そういったものの商品化や解説まで禁ずることはそもそも不可能です。
 こういった事情が問題を厄介にしている一番大きな原因だと思いますが、いずれにせよオズボーンの図解シリーズは著作権の視点からは違法性を唱えることは出来ません。

 次にオリジナル作品の発表とそれに基づく商品化の問題を考えてみましょう。 これはトラブル例が多いという訳ではありませんが、その作品を発表する場がディーラーのハウスマガジン(ディーラーが発行元になっている奇術情報誌)の場合はいろいろな問題が起きる可能性があります。
 提供した作品が「単に雑誌への掲載記事として渡されたもの」か、それとも「その商品化の権利も併せて提供された」と見るのか、立場によって違った解釈をする恐れが出てくるからです。 従って、これを避ける意味で本来は文書を取り交わす必要がありますが、それを実践しているところはほとんどないのではないでしょうか。 フィル・ゴールドスティン氏(マックス・メイブン氏の本名で、作家としてはゴールドスティン名で発表)の場合、大手ディーラーであるアボット・マジック社が発行する「ニュー・トップス誌」に作品を寄稿する際は、必ず "ALL MANUFACTURING RIGHTS RESERVED(製品化権留保)"と付記しています。 他のクリエーターも同じような注意書きを付ける事例を目にしますが、法的な効力には疑問があるもののトラブルを未然に防ぐ一つの方法のように思います。

 ただ現実の姿として、あるディーラーが創案者から権利を得て(あるいは独自に開発して)商品化した後、他のディーラーが「似て非なるもの」を制作販売する例はかなり見られます。 しかし、これは著作権とは異なる問題であり、改めて別個の論議が必要となります。
 即ち、著作権で保護の対象になるのは「言語著作物」をはじめとして思想または感情をなんらかの「表現形式」で著したものであり、物品に関するものは美術的創造性がない限り基本的には対象となりません。 従って、物品としての商品化の場合は、特許権、実用新案権、意匠権、商標権といった工業所有権上の問題が中心的な論議のポイントになります。

 例えば実用新案では、物品の形状、構造、組合せに関わるアイデアや考案が出願の対象となり権利登録して初めて有効になります。ただし、商品コンセプトだけで具体性に欠けるものでは特許や実用新案の対象にはなりませんし、また新しい着想と思って権利登録しようとしてもその分野の人にとって「公知の考案」であったり「過去の実施事例」を簡単に見つけられるようでは登録を受けることができません。ですからウォークマンのような新商品を考えた場合の売る側の作戦ポイントは、デザインの意匠権とか商標権を登録した上で、出来るだけ創業者利益を獲得するような営業戦略を立てることにあります。 電気製品のみならず、菓子、食品、日用雑貨に至るまでヒット商品と呼ばれるものは、あらゆるジャンルで類似商品の攻勢を受けますが、これはある意味で健全な競争を促す法的な意図の結果といってもいいでしょう。

 さて、奇術用具の場合「コピー商品」という捉え方が良く言われますが、上記の例と比較して考えると論点が明らかになってきます。すなわち、意匠権・商標権を登録するほどブランドやデザインに価値はありませんし回避するのも極めて容易です。 そもそも「現代の奇術は、かなりの部分が歴史的資産の上に成り立っている」というのがこの世界の共通理解になっています。業界も狭いのでヘタに出願したり権利主張をすると、かえって反感すら買う結果になります。
 わたしには、やはり創案者との間での著作権にからむ理解の食い違いの方が気になります。

 演技の場合は「上演権」というものが法律的に保護の対象となっていますが、奇術用品の場合、工業所有権との接点(これを主張するには登録が必要)もあれば、道具の要素がほとんどない指南書や解説書のようなものもありますから著作権との接点も出てきます。
 例えば奇術の場合「演出上のセリフ」が重要な要素ですが、これは前回見てきたように明らかに著作権にかかわる領域です。 そういった境界領域にあって「微妙な演出の違いや、手順の違い、更には演ずる人の個性の違いが、効果として大きな差異を生ずる」というのが奇術という総合芸能の世界です。

 そういう状況の中で、創案者のアイデアに対価を払って商品化しているのがディーラーです。 ただそのようにして許諾を得て製作販売した奇術用品を、別のディーラーが模倣・改作し、類似商品を売ったような場合、問題がこじれるというのが現在の姿でしょう。
 この問題は簡単ではありません。 法的に整備されることも期待薄です。 狭い奇術の世界ですから、「クレームを付けられる可能性があると自覚する部分があったら、事前に関係者に了解をとっておく」という礼儀が最も大事なことでしょう。

2-2.一般向けの解説本の発刊

 さて、創案者に無断で商品化を行なうと、結局は創案者の耳に入るところとなって抗議を受けますから、ある意味では決着しやすい問題とも言えます。
 ところが、これが一般書店で売りに出される解説本のような場合は、奇術界の外部に広くタネを流布することになるため、その影響度や内容の妥当性について、一段と議論が百出します。場合によっては、単なる「種明し本」あるいは「自分に権利のない奇術のタネを暴露するだけの本」のそしりを免れません。

 ABRA 2285 号(1989/11/11)でシュープリーム・マジックの創設者エドウィン・フーパー氏は "the Usborne Complete Book of Magic" が10才以上の読者層を対象に広く市販されていることを取り上げ、著者のイアン・キーブルエリオット氏(英国の奇術雑誌であるOPUSの初代編集長)を攻撃しています。 即ち、「シュープリームで売っているいくつかの商品の基本となるところが本の中で解説されている」、「著者のオリジナルがない」、更に「子供向けの本にはふさわしくないような、カード技法や、袋からの脱出、といったものが書かれている」等、が指摘されています。

子供向け解説書 ”The Usborne Complete Book of Magic” (1989年刊)

 こういったことに腹を立て、ザ・マジック・サークルをはじめとするあらゆるマジックのクラブから同氏を追放するよう呼びかけています。 これに対し、ABRA 2286 号で、ジェリー・サドウィッツ氏はビギナー向けの解説本は以前からあったとして、例えば「"the Royal Road to Card Magic" からパトリック・ペイジ氏の "Big Book of Magic" に至るまで、プロマジシャンに何ら悪影響を与えていない」と弁護しています。そもそもトリック・技法・用具といったものは、シュープリーム・マジックが出来る前からあるもので「ディーラー商品にあるからダメ」という論理には無理があるとコメントしています。

 翌2287号で、非難された当人のイアン・キーブルエリオット氏は、「この本で強調したかったのは、クラシックとなっているものを取り上げ、その中で奇術の基本的な原理を理解してもらうこと」、「この本のオリジナリティは、演出やセリフ等の重要性を力説したところにあって、既存のマジックの改良を働きかけこそすれ、害を与えるものでない」と説明しています。
 また、「いままで奇術の本が奇術そのものやマジシャンを傷つけたことはなく、更にシュープリームのジェネラル・マネージャーであるイアン・アデイア氏には事前に断りを入れた」とも言っています。 ところが当のイアン・アデイア氏は「やはり不適当なものがある」と述べており、理解の食い違いが明らかになっています。
 また、クリストファー・ワトソン氏は「いずれにせよ、奇術を演ってみようと思う子供だけがこの種の本を買おうと考えるのであり、また仮に他人のアイデアのコピーをしたとしても、ここにあるのは当事者以外でもよく知られているものなので問題になりようがない」とコメントしています。

 ダグ・ジバート氏によれば(2292号)、「イアン・キーブルエリオット氏の言う『奇術の本が奇術そのものやマジシャンを傷つけたことはない』というのは大いに疑問で、こういった認識がマジックがいつまでも芸術として認識されない一つの理由になっている」と述べています。
 「例えば、ピーター・エルディン氏の "Book of Magic" は、チンカ・チンク、ハンピンチェン・コイン、シンパセティック・シルク、マイザーズ・ドリーム、カット・アンド・レストアード・ロープ、イコール・アンイコール・ロープ、コイン・スルー・テーブル、アウト・オブ・ジス・ワールド、カップ・アンド・ボール、サイ・ステビンズ・システム、20世紀シルク、等々、といったものが片っ端から解説されているが、了解をとって載せたものとは思えない」と論じています。
 また、「ワトソン氏のいう『奇術を演ってみようと思う子供だけがこの種の本を買おうと考えるのであり』というのは間違いで、普通の子供はタネだけを知りたいだけで演じようとは思っていない」ということを体験上述べています。

 この議論に米国から加わったマックス・メイブン氏は、ABRA 2295号の中で、ジェリー・サドウイッツ氏の意見に基本的に賛成としながらも「どのマジックも過去の歴史の上に成り立っている、と断じてしまうのには問題がある」と指摘しています。
 作品の中には原典が不明なものもいくつかあるのは事実として、「オリジナルが誰なのか、どういう流れでいままで来ているのか、といったことを調べようとしないのは著者の怠慢であり、それをするのは書く人の最低限の責務」としています。
 特に「他人の作品を一般の人に解説するような場合には重要なことで、道義的な振舞いとしてどうあるべきかといった視点で議論を進める必要がある」と論じています。

 ノーマン・ジャクソン氏は同じ号の中で次のように述べています。
 「本屋で手に入れた本を手掛かりにしてマジックを学んだことのあるマジシャンは一体どのくらいいるか手を挙げさせてみたらどうなるだろう。
 ほとんどのマジシャンは本屋でマジックの本を手にとってこの世界に入ってきたのではないだろうか」、「ポール・ダニエル氏自身、子供の頃見つけた本をキッカケに奇術を始めたことを認めている」、「一方で、マジックの現象や道具に対しては正規の著作権というものがないため、コピー形態の定義付けそのものが難しい」、そういったことも認識した上で、「一般の人に解説本が目に触れることに対しては過度に潔癖になることはやめるべきである。 そうでなければ奇術の進歩もあり得ない」と問題を整理しています。

 正に意見は百花繚乱の状態となっていますが、ここで最後に、私が最も敬愛する一人であるマーチン・ガードナー氏の意見を紹介します。ご存じのように氏はマジック愛好家であるとともに科学の啓蒙家として後に続く人がいないとさえいわれる程の優れたライターで、有名なサイエンティフィック・アメリカン誌のコラムでは長らく、奇術も含めた記事を書いていました。
 このガードナー氏からの私宛の私信に正にこの件に関する氏の見解が明解に示されている部分があります。そこには次のようにありました。

一般の人を対象にしている雑誌や本に手品のやり方を書くような場合、私の態度としては、プロが演じているものは種明ししないように心掛けています。ただし一般的なもの、例えば、コイン、カード、ハンカチといったもので出来るプロがやらない即席風の簡単なトリックについては解説しても許されると考えています。注意しなければいけない大事な点は、ウィリアム・パウンドストンが氏の著書「グレート・シークレット」の中でジグザグ・イリュージョンの秘密を明かしたように、ステージ・イリュージョンの種を明かしてはいけないことだと思います。ところが『簡単なトリックでもその原理がプロの演技にも使われているという理由で公にすべきでない』という論議がしばしばなされることがあります。ここまで行くと行き過ぎだと思います。もし、多くの子供が手品にアクセスする手段を持てなくなったら、マジシャンになる唯一の方法は、プロに弟子入りして教えてもらう以外なくなり、そのような時代に逆戻りしてしまうことになるからです。


一般向け解説書に対するマーチン・ガードナーの考え(1991年の著者宛ての私信)

 奇術家自身が同業のマジシャンのネタを暴露するケースは日本でも過去幾度となく問題視され、その度に大きな論争が沸き上がっていますが、上記のようないろいろな見解を眺めてみると自ずと妥当なレベルというものが見えてきます。

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