土屋理義

マジックグッズ・コレクション
第9回

「魔術」「魔術師」「女魔術師」

 女奇術師の松旭斎天勝(初代)が魔術劇「サロメ」の公演で、一躍、世の中の注目を集めたのは大正4年(1915)のことです。時代は、一大娯楽としての「魔術」を急速に受入れていきます。機を同じくして、魔術を題材にした有名作家の作品が相次いで発表されました。

 芥川龍之介の児童文学作品「魔術」の初出は、大正9年1月の児童雑誌「赤い鳥」です。
 「私」は街はずれの西洋館にインド人の魔術師を訪問し、テーブル掛けの模様の花が本物の花に変わったり、机の上のランプが独楽のように回ったり、書棚の本がこうもりのように羽ばたいて飛ぶ魔法を見せられます。魔法の掛け方を学びたいと申し出ると、「魔術を習おうと思ったら、まず欲を捨てることです。あなたにはそれが出来ますか」と聞かれます。その覚悟が出来ていると言って、魔術師の家に泊まり込み魔法の使い方を教わります。
1ヶ月が過ぎてから、銀座の倶楽部で友人たちとカルタ(トランプ)の賭けに興じていた時、ふと、してはいけない欲を出してしまいます。すると「私」が手に持っているKの札から、キングが飛び出してきて、魔術師の使用人のお婆さんに「御婆サン。御婆サン。御客様ハ御帰リニナサルソウダカラ、寝床ノ仕度ハシナクテモ好イヨ」と言うのでした。魔術を習ってから1ヶ月たったと思っていたのは、実はほんの2、3分の間の夢だったのです。
そして「魔術を使おうと思ったら、まず欲を捨てなければなりません。あなたはそれだけの修行が出来ていないのです」と魔術師にたしなめられるのでした。
この作品は、芥川が小説というある種の「魔術」を扱うにあたって、文壇で脚光を浴びた新進気鋭(27歳)の自らの欲を戒めていると、読むこともできます。

講談社「杜子春・トロッコ・魔術」より、絵・つぼのひでお
講談社「杜子春・トロッコ・魔術」より、絵・つぼのひでお

 耽美主義の旗手、谷崎潤一郎の「魔術師」は、大正6年(1917)の「新小説」1月号に発表されました。退廃的、かつ幻想的な筋立てとなっています。
ある男女が、見た者は心を奪われると噂の美しい魔術師の興行を見に行きます。二人の愛が魔術師に負けないかどうかを試そうというわけです。魔術師は、なりたいものに変身させることができます。望み通り人々を、孔雀や豹の皮、あるいは燭台に変身させます。そして最後に申し出たのが、愛のゆるぎないことを試しに来た二人のうちの男性でした。彼は希望した半羊(ファウン)神になってしまいます。恋人を奪われた女性は、男性についていきたいという思いで、自分も半羊神になることを望みます。
「『よろしい、そんならお前も半羊神にしてやる。』この魔術師の一言と共に、彼の女は忽ち、醜い(のろわ)しい半獣の体に化けたのです。そうして、私(男)を目がけて驀然(ばくぜん)と走り寄ったかと思うと、いきなり自分の頭の角を、私の角にしっかりと絡み着かせ、二つの首は飛んでも跳ねても離れなくなってしまいました。」
美を得るためには、身を滅ぼし半羊神になることもいとわないという表現は、作家谷崎の美の殉教徒としての面目躍如といったところでしょう。

中央公論社「人魚の嘆き・魔術師」より、挿画・水島爾保布
中央公論社「人魚の嘆き・魔術師」より、挿画・水島爾保布

 「半七捕物帳」で有名な岡本綺堂の「女魔術師」が発表されたのは大正6年でした(「侠艶情話集第4編」 春陽堂)。
作家が旅芸人一座の座長、女魔術師・東洋斎小虎(ことら)の話を聞くかたちで展開していきます。小虎は少女の頃から東洋斎虎楠(とらくす)の養女となって芸を磨き、洋行もはたします。美しい顔、危ない軽業、鮮やかな手品、華やかな舞踏(ダンス)が評判を呼び、座長の虎楠が急死した後、押しも押されもしない大スターになっていきます。しかし、彼女には座員の中国人の美青年・揚秀との悲恋があったのです。巡業の途中で亡くなった役者兼軽業師の揚秀が、実は同じ座員の中国人の剣投げ名人、下劣な人格の張赫(ちょうかく)に、小虎への横恋慕と嫉妬から殺されたことを知ることになります。張は最後には神経衰弱になり、列車から胸を剣で刺して飛び降り自殺をするのですが、別に芸者染龍とその恋しい男との人生もからませ旅芸人の悲哀を綴っています。
 この物語の最後はこう結ばれています。
「満都の人気を背負ってゐるやうな東洋斎小虎嬢が、派手な舞台衣装の懐(ふところ)には、斯ういふ哀れな恋物語を忍ばせてゐるかと思ふと、私も何だか寂しい思ひを誘はれた。」・・・「年歳はもう三十五六であらう、優れた美人と云ふではないが、いかにも化粧栄えのする顔らしく、殊に涼やかなしかも情深さうな眼元が彼女の命であった。彼女がいつまでも人気を落さずに、舞台の花と(うた)はれてゐるのも無理ではないと首肯(うなづ)かれた。」
まるで松旭斎天勝を彷彿とさせる書きようです。

 これらの他にも、浅草の劇場に舞台出演を求めて訪れた手品師のことを書いた、久米正雄の「手品師」(大正5年、「新思潮」)や、女奇術師の独り身の寂しさを描いた同作家の「天花」(同年、雑誌「女性」)が発表されています(実在した初代天花(てんはな)ではなく初代天勝をモデルにして書いたものと思われます)。

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