土屋理義

マジックグッズ・コレクション
第17回

天勝の引退興行プログラム

 「魔術の女王」として一世を風靡した松旭斎天勝(初代-1884-1944)は、舞台生活39年、50歳を迎える昭和9年(1934)に引退興行を始めます。3月の新橋演舞場を皮切りに4月15日から24日までは横浜・伊勢佐木町の喜楽座で公演が行われました。正午と夕方5時からの2回公演は前評判も高く大入りの盛況でした。図はその時のプログラムで、一座の常連のスポンサーであった森永製菓が広告を出しています。

天勝の引退興行
表紙と広告


天勝の引退興行
番組一覧 (クリックすると拡大します)

 まず天勝音楽部の演奏と名物の娘子連のラインダンス、松子、竹子、廣子らによる小奇術やアクロバット、さらにはジョウジ高橋によるスライハンドが続きます。5番目の出し物の「コンビネーション・サラダ」とは別名「不思議の料理」と称し、歌手の白井順の進行のもとに、緑のレタスや紅のトマト、白いじゃがいもなどに扮した少女たちを大きなお皿の上に盛ると、調理台を割って天勝が登場し、そのおまじないと共に少女たちのドレスが五彩に変化して、賑やかな総踊りになるという奇術です。

 そしてここで天勝の引退口上が入ります。「・・・芸術には時がございませんが、女には歳がございます。わたくしが多年ごひいきを頂きました全国のファンの皆様に一通りご挨拶を致して巡りますと、ちょうど五十歳になるのでございます。この際いさぎよく舞台を退き、本名の中井カツに立ち戻り、自由の身になりまして、今後は私の大好きな、そして将来の日本を背負って立つ、坊ちゃん、お嬢ちゃん方のために、お役に立つ仕事をさせて頂きたいと思っております。では、私を愛して下さいました皆様、長い間本当にいろいろと有難うございました。いつまでもごきげんよろしゅう。さようなら・・・」

 口上の後の「ルンバ」を踊るのは一座の娘子連や、アメリカ巡業の際に入座したアメリカ人ダンサーのヴァージニア、そして満州ハルピン公演時に入った弱冠20歳の白系ロシア人の美青年トミーでした。

 15分間の休憩後、松旭斎家十八番の日本奇術、白磁の水がめになみなみと水を注ぎ、その中から提灯や多数の日傘を取り出す「夕涼み」を演じます。続いて白井の独唱、トミーのロシアン・ダンス、「僕の妻」の寸劇をこなし、新企画の「上海土産 カニドローム・フォーリス」が始まります。これは前年夏の上海巡業の際に、同地で競馬に劣らない人気を博していたドッグレース(カニドローム・フォーリス)をヒントに舞台化した競技です。騎手と犬に扮する娘が一組になって、六組の犬が舞台上で懸賞付きのドッグレースをくりひろげ、一等を投票した観客に賞品を贈るという趣向でした。

 12番目のヘンリー松岡による超人的空中大冒険曲技は、在米20年、ニューヨークやシカゴの高層ビルでの綱渡りで評判をとった曲芸師の演技です。舞台から階上に張り渡した直径5、6センチもあろうという太い坂綱を、途中で寝たり起きたりしながら、ゆさり、ゆさりと登っていき、最後は日の丸の旗をかざし一気に滑り下りるという離れ業でした。

 次は一座の道具方を一手に引き受けていた和歌山の谷口勝次郎の製作による「昭和九年度新作」と銘打った「大魔術」5種。中でも目を引いたのが空前絶後の大道具「ワンダフル・ワールド」の異名をとった引退記念天勝独創「八幡(やはた)の藪知らず」でした。「八幡の藪知らず」とは千葉県市川市八幡にある森のことで、古くから「足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という神隠しの伝承で有名なところです。舞台中央に多数の銀柱が立ち並ぶ巨大な円形の檻の中に、天勝が数人の観客と共にその迷路に入って行き、天勝だけがあっさり出口から出てくるものの、観客を「八幡の藪」の中で迷わせるという趣向です。そして銀柱のドームを舞台一杯に引き開くと、大勢の美女がその銀柱の間からこぼれるように現れて、交差するスポットライトの中を天勝を中心に華やかな総踊りとなる魔術でした。

 それから10分間の休憩があり、最後は従来から好評を得ていた「天勝小唄」や「越後獅子」も含めた天勝の傑作「舞踊ショウ」8演目でフィナーレとなりました。

 なお、プログラム中の、松子は昭和2年に天勝一座が長崎公演を行った際に一座に入り、後に小天勝と名乗り有力な二代目候補となった天勝の部屋付きの愛弟子(本名・大喜タマ子)のことです(注:実際の二代目は天勝の直弟だった栄太郎の娘・絹子が、昭和12年4月に継いでいます)。松子は退団後、一座で習得した日本舞踊で花柳寿山として長崎で大成し日舞の銀扇会を創設、昭和30年には長崎マジッククラブ会長、同48年にはプロマジシャンの集まりである日本奇術協会の顧問に就任しています。

 ダンスの得意だった竹子(本名・市村栄子)も同じく長崎の出身で松子と同時に入座、後に竹天勝を名乗りました。 ご両名とも長命で、2019年に松子106歳、竹子101歳で他界されています。  また、廣子(本名・山崎下枝、1913-2007)は妹の島子と共に広島での巡業時に一座に入ったため、そのような芸名をもらいました。(松旭斎)廣子は戦後、夫君を後見に天勝ゆずりの演技を見せて舞台で活躍し、日本奇術協会の7代目会長をつとめています。

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