松山光伸

「オリジナリティ」と「権利」 第6回

3.パテントとの対比

 これらの議論を踏まえた上で、ギャリー・ウェレット氏は「他人のアイデアの盗用が行われると、いずれはマジック製品の価格が上昇することになる」としています(GENII誌、1992年6号)。すなわち「創案者や製造者が彼らの権利を守るための管理コストや法的な措置を講ずるための費用を確保することになり、その分価格が上がらざるを得ない」という見方です。また、優れた創案者が別の分野にその才能を振り向けることになっていくため「新たな良い作品が世の中に出にくくなる」ということも述べています。実際にそういうことが起きるのかどうかよく判らない部分がありますが、現に、2、3のそのような動きがあるようです。イリュージョンの場合も同じで、創案者自身がパフォーマーでない場合は他のマジシャンが実演する際のロイヤルティ収入しか見込めません。従って権利が犯されるようなことがあると有能な創案者が奇術界を見限ることは十分あり得ます。

 法的に明確な保護規定がない現状では、誰かが考えた奇術のネタは何時になったらパブリックドメイン(公共の財産として誰もが自由に使える状態)になると考えたらいいのか、という問題があります。ウェレット氏はパテント法に準拠し17年と考えるのが1つの方法であると提言しています。パテント法では権利保護のためにまだ改良余地のあるものでも一定期限の権利期間を与えており、これをあてはめると、人体交換の「サブ・トランク」は今日の技術(改良部分)に関してはまだ権利が保護されているにせよ、ベースとなっているアイデアは既にパブリックドメインになっていると考えることになります。即ち「時を経るに従って複数の人が追加アイデア部分についてそれぞれ権利を持つことになる」という考え方です。

 これを日本の特許法に当てはめて考えると、特許権の存続期間は公告後15年ですから、米国より短いのが実態です(これが実用新案ともなると10年ということで更に短くなります)。言ってみれば米国の方がアイデアというものに対して個人の権利がよりあつく保護されているということで、こういった考え方の違いは他にもあります。パテントに関する先願主義と先発明主義という考え方の違いというのがその代表的なものです。先願主義というのは、パテントというのは出願という行為によって権利の行使が可能になるという考え方に基づき「出願日の早い人が権利者として認められる」というものです。日本を含めほとんどの国がこれを採用しています。これに対し先発明主義の場合、権利保護対象者は必ずしも出願日の早さで確定するものではなく、先に発明した人に権利が認められることになっています。即ち先に発明したことが立証できさえすれば、そちらを権利保護対象者にしようとするもので、これは米国で採用されてきています。先発明主義の立場にたった場合、自分でなんらかのアイデアを思いついたら、出来るだけ早い時期に文章化や製品化を終え、あとあと証拠が残るようにしておくことが最も大事なことになります。これが原因かどうかはわかりませんが、日本ではまとまった奇術の解説本が出るのは毎年数冊なのに対し、米国では溢れるように出版されています(もちろん一般書店での発売と言うのは数が限られていますが)。このことは「考えたらすぐ本にするなり記録するなりしておく」という思考パターンが米国には根付いていると解釈できるのではないでしょうか。加えて大事なのは、人の奇術にせよ、自分の奇術にせよ作品を文章化しようとする場合、どの部分が自分のアイデアで、どこが従来の(そして誰の)アイデアなのかを明示することが不可欠です(クレジットを付けるということです)。これがないと他人の考えたアイデアを盗用したような形になってしまいます。

 さて先発明主義の国と先願主義の国との間で係争が起きたらどうなるでしょうか、どちらの国で裁判を行なうのかという点では裁判管轄権というのが問題になりますし、一方の国の判示を他方の当事者に無理に適用しようとすると適用される側の国にとってはその国の法秩序や社会秩序を乱されることにもなってきますからコトは重大です。この問題は「域外適用」といい、近年産業レベルでは大きな国家間の問題になるケースが散見されています。マジックの場合ここまで心配するのはナンセンスで、心配すると切りがありませんが、旺盛な権利意識を持った海外のマジシャンが訴訟社会の論理で苦言を呈してきた時に、キチンと当方の論理を示して納得して貰えるよう常に心がけることは今や欠かせません。(なお、米国の先発明主義は見直される動きがあり、遠からず先願主義に一本化される見通しとされています)

4.ドン・ウェイン氏の提唱案

 さて前述のウェレット氏は、最近の法規上の解釈を引合いに出し「仮にパテントをとっていなくとも他の連邦法ないしは州法によってマジックの知的所有権は保護されうる」という見解を示しています。すなわちこれは意匠や著作権の適用でオリジナルのマジックは保護されるのではないかという考え方であり、この連載で論じてきたポイントと同じ視点に立っています。もし、そういう判断が一般的になれば明らかに創案者は自身のアイデアの権利を確立することが可能になるわけですが、逆にそういう解釈が成り立たないとなると、広い範囲にわたってコピーが横行してしまい、創案者の意向に反しパブリックドメイン化を余儀なくされることになってしまいます。奇術界としてはこれは避けるべきとの観点から、ウェレット氏はドン・ウェイン氏が提唱する非常に判りやすい道義的ルールを紹介しています。それは

【 自 分 で 創 作 し た も の 以 外 は 演 じ な い こ と 】

というものです。この「自分で創作したもの以外は演じないこと」というのを基本ルールにすると、ほとんど何もできなくなってしまいますが、実は次の3つの例外をあげています。

 〈例外1〉創案者ないしは権利所有している製作者から演技することの権利を買って演ずる場合。
 〈例外2〉購入した本(正規に発表出版されたものに限る)からアイデアを得て演ずる場合。
 〈例外3〉パブリック・ドメインになっているものを演ずる場合。

加えて、これには運用上の注意事項が明示されています。
(1) 例外規定にあてはまるかどうかを確認するのは演者側の義務とする。
(2) もし判断が難しい場合は基本ルールで運用する(すなわち演技をする権利はないと考える)。
(3)「よく事情を知らなかったから」という弁解は許されない。

私はこのうち「例外1」の表現を一部修正する必要があると思います。

 〈例外1〉創案者ないしは権利所有している製作者から演技することの許諾を得て演ずる場合。

 すなわち「許諾」を得るというところがポイントで、権利を買うにせよ、無償でやらせてもらうにせよ、それは当事者間で取り決めた内容に従えばいいということです。また、この論文の主旨は、多分にプロの奇術師が対価を得て演ずる際のガイドを示すところにあるようなので、アマチュアも含めてルール化する場合にはもう一つ例外規定が必要になります。

 〈例外4〉私的集まりで、なお且つ謝礼を受けずに演ずる場合。

 実際に我々がマジックを楽しむ場合、友人等から何か見せてもらってそれを自分のレパートリーにする、というのがかなりあります。そしてかなりの場合がパーティや結婚式といった内輪の場での披露であって不特定の観客を相手に商業的に演ずるわけではありません。そのような場合は別枠の例外が必要になるというわけです。

 結論めいたことになりますが「演技」に関してはこのウェイン氏のルールをベースにしてこれを目安に運用するのが現状では適当だと考えます。ただ氏はステージやTVで演じられ易いイリュージョンに比重をおいて論じているため、スライト・オブ・ハンドやその他のクロースアップの分野も含めてこのルールを一般化するには多少手を加える必要があります。すなわち、

  • 「商品化」をする場合のルールとしては、上記のルール(プラス例外規定)の中の「演ずる」という部分を「商品化する」と読みかえること。
  • 「解説本の出版」「レクチャー」「ビデオ出版」をする場合も、同じように「演ずる」という部分を「解説する」「レクチャーする」「ビデオ化する」と読みかえること。
  • これら「商品化」「解説本の出版」「レクチャー」「ビデオ出版」を行う場合、「自分のアイデアでない基本部分がどこから来たかについてクレジットを付ける」こと。

 上記のルールの中で唯一判りにくい部分は「例外3」にある「パブリック・ドメイン」という言葉です。即ち「何をもってパブリック・ドメインになっているトリックと認識したらいいのか」ということです。「パテント論」で言うところの「17年を超えているか超えていないか」ということで判断するのでしょうか。仮に17年(日本式では15年)と考えたとしても、まずどういったものが過去出願されているのか、またその出願が一体いつ行なわれているのか、といったことをプロもアマも特許公開公報をもとに個人個人で調査確認しなければならず、およそ現実的なものとは思えません。すなわちパテント論を準用するのではとても基準として機能しないわけで、これについては以下の事例で考える必要があります。

5.奇術におけるパブリック・ドメインとは

 1930年代半ばに米国のタバコの "キャメル" がその宣伝の中で数々の奇術の種明かしをしたことがありました。当時のこのタバコのスローガンは "It's Fun to be Fooled but It's More Fun to know" ― 煙にまかれるというのもいいけれど、知るのはもっと楽しいこと ― というもので、その宣伝文句に合わせて当時ニューヨークの Power's Magic Shop にいた ポール・カールトン氏 がこの種明しに協力していました。

キャメルの宣伝に利用されたマジックのタネ明かしの一例

 中でも人体切断で2人の人物が使われていることを明かしていることなどが大きな問題になり、結局、アメリカ奇術家協会(The Society of American Magicians )が提訴に踏み切ったというものです。これに対し、キャメルを売っていたR.J.レイノルズ社側は著名な弁護士を動員して対抗してきました。SAM側はサム・マーグルス氏等が証人に立ったものの、被告の弁護士側は「この奇術はパブリック・ドメインになっているかどうか、本として売られているかどうか」ということを争点とし、「誰もが図書館に行ってこの奇術の仕組みを閲覧できるかどうか」という質問をしてきました。これに対しサム・マーグルス氏が「もちろんそれは可能ですが、‥‥」と言いかけたところで答弁を遮られ、この辺りを契機として流れが定まり、結局キャメル側の勝訴に終りました。これはダイ・バーノン氏の足跡を記した「ダイ・バーノン・クロニクルス:第4巻」の中でエピソードとして紹介されています。なお、キャメルの事件については最近のMAGIC誌(1994年4月号)にも歴史的エピソードとしてその詳細が解説されていますので参考になります。

 この種の裁判では弁護士の駆け引きやテクニックが大きく影響するため、本質的な議論がどの程度なされたのかが疑問として残りますが、「そのネタが本として誰もが購入し閲覧できるものなのか」、それとも「特定の人の目にしか触れることのないものかどうか」、という視点は社会通念としては非常に判りやすいものです。従って今後もこれが判断基準になっていくものと考える必要があります。特に米国はコモン・ロー(細かな法律がなく、世の中の慣例や過去の判例に基づいて正当性を判断する法体系)の国であり、こういった判断が過去に行なわれている以上、国際的に活動領域が広がってきた日本人マジシャンや日本の奇術用品メーカーも十分留意する必要があります。

 具体的に言えば「公に出版」されるものは図書館に納められますから、出版した時点で直ちにパブリック・ドメインになるものと考えておく必要があります(注:ここで言っているのはマジックのアイデアとか構成手順のことで、著作文面自体は明らかに著作権法で50年間保護されます)。ですからオリジナリティの高い作品はマジックショップのみで扱われる奇術専門誌とか、クラブ誌、同人誌のような特定読者向けの誌面に掲載するよう心掛けるのが無難です。特に他人の優れた作品を市販本の中で紹介する場合は、創案者本人から了解を得るなり、クレジットを付けるなり十分注意を払うことが必要です。いずれにせよ「自身のアイデアの逸失を避ける」と同時に「他人のアイデアの盗用という疑いを避ける」意味でこれらは極めて重要です。

6.まとめ

 いろいろな事例と論議を見てきましたが、「創案者保護」という観点でマジックを論じるのはつくづく難しいものです。他の分野であれば「著作権」か「工業所有権(特許等)」のどちらかで基本的には保護されるものですが、奇術の場合はどちらでも保護されにくい性格をもっています。奇術解説書を例にとれば、著作権法で保護を受けるためにはそのままそっくりコピーされているかどうかが大きなポイントになりますが、必ずしも他人の解説文をそっくり写さなくとも同じことを表現できてしまうのが小説と違うところです。要するに「ハウ・ツー」本ということです。一方、奇術解説書が「スポーツ、ゲーム、お稽古事などのハウ・ツー本」と異質と考えられるのは「それぞれのトリックに創案者独自のアイデアが重要な構成要素として組み込まれている点」であり、そのため創案者に無断で解説するとクレームを付けられる恐れがあります。

 これを防ぐためにはパテント出願という行為も一法となりますが、細かいアイデアを思いつく度に、高い出願料を払い、所定の書式で手続きをすることなどまず考えられません。かなり商売になるという目算が立つとき(或いはコピー商品の出現が予想され、それによって甚大な被害を受ける可能性があると考えられるとき)にしか出願の意味はないでしょう。ただ、その場合でも「過去の公知の事実が何なのか調べ、権利の範囲を特定して出願する」ことが必要ですから、かなりの手数が掛かります。

 いずれにせよ他人のオリジナリティあるアイデアを不用意に自分のものとして公けにすることは許されなくなってきています。難しく考えると身動きができなくなってしまいますが、基本は「自分に正直になる」ということでしょう。すなわち「あのアイデアを基にして自分が工夫したのはこの部分」ということをいつも明示し、「ベースとなったアイデアは誰それのもの」ということを明らかにすることが必要です。もし参考にしたものがあればそれについて付記し、また友人からそのベースになるものを見せてもらったのであればその出所をできるだけ確認して解説時に補足することが大事で、そのような姿勢が奇術家としての信用を築きます。このようにして、ひとたび信用力がつけば、他人のアイデアと自分のアイデアが偶然一致するようなことがあっても、疑念を受けるようなことはなくなります。

 また、これで万全という解決策がない以上、ウェイン氏が提示したようなものを基に、個人個人が注意を払うことも重要です。このような動きが定着すれば、マジックのタネが一般の人に広がることも防げ、創案者のオリジナリティもより尊重されていくことになります。奇術界の健全な発展のためには、こういった事を自主的に運用しなければいけない時期にきていると言えるのではないでしょうか。(了)

追記:

 海外ではこのような権利を巡っての論議があちこちの奇術雑誌の誌面で取り交わされ、あるべき姿についての共通理解が進んでいます。具体的な動きとしては、ここ数年米国で出版されてきた一流奇術解説書を見ると、トリックそのものの解説だけでなくその出典やアイデアの経緯に触れている例が目に見えて多くなっています。最近では解説ビデオでもこのような配慮がされ始めており、時代の変化のうねりを感じます。例えば、"Easy To Master Card Miracles"というタイトルのビデオでは収録画面の最後の部分にこのビデオで解説したトリックのアイデアの出所等が一覧形式で明示されており、さながら映画のエンドクレジットを見るような感じになっています。

補足(2015年10月追記):

 その後『ワンツースリー』(日本奇術協会の機関誌)では私の記事を引き継いで「知的財産権の広場」と題する連載が10回にわたってなされています(1995年6月号から)。弁理士事務所を経営しマジック愛好家でもある志村浩氏が専門家の立場から特許に焦点を当てる形で補足されたものです。

 一方、海外でも専門家の立場でマジックに関する知的財産権がGENII誌で連載になりました。”Intellectual Property Laws and Magic”と題しサラ・クラッソンが2013年2月から隔月で解説した包括的な記事がそれです。論じている守備範囲は私のものとほぼ同じですが著者(弁護士)はバラエティアート全般(マジック、サーカス芸、曲芸など)に関する知的財産権全般に関する論文をこの前年にまとめておりその中からマジックに関する部分を要約紹介したものです。アメリカでも日本でも基本は同じですが、コピー問題に興味のある方にはいずれもお奨めです。

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