古川令

セントルイス出身のマジシャン

 すでに紹介しましたように、セントルイスはマジックの歴史のある街で、多くのマジシャンを輩出しています。中でも双璧は、ルポールの財布のポール・ルポール、ハーマンカウントのブラザー・ジョン・ハーマンではないかと思います。残念ながら、私が赴任した時にはブラザー・ジョン・ハーマンはすでに車いすの生活で、挨拶はできましたが直接演技を見せて頂ける機会がなかったのが本当に残念でした。
 Midwest Magic Jubilee(中西部のマジックの聖典)のディーラーブースで販売されていた古本の中で偶然見つけたのが、ルポールが書いたハーマンのマジックの解説書です(これがたったの5$!)。アメリカでは古いマジックの本を古本屋で見る事も多く、古い本や道具なども非常に大事にしているのが印象的でした。

ハーマンのマジックの解説書
  ルポールが書いたハーマンのカードマジック。いたずら書きが
されていて残念ですが、ハーマンとルポールのサインがあります。

 クロースアップのマニアの方はご存知と思いますが、ダン・フレッシュマンやジョン・メンドーサなどがセントルイスで活躍しています。私もチャレンジしたFISM (マジック協会国際連合)の2000年リスボン大会にはクリス・コーンとジェイソン・バーニーがクロースアップとステージのコンテストに出場するなど、セントルイスの若手も頑張っています。
 セントルイスで当時何度も共演させて頂いた、ハリー・モンテ(1999-2000)とジョン・アパーソン(2004-5) がSAMのナショナル・プレジデントになりました。余談ですが、私の場合にはハリー・モンテがSAMから推薦してくれたお陰で、当初はアメリカ代表という形でFISMにチャレンジする形となりました。
 今でこそインターネットのおかげで、IBMやSAMの現地支部の情報なども簡単に入手できますが、当時はセントルイスのマジックの情報は、入手の伝手も含めて一切なく赴任しました。たまたまアメリカで最初の出張がアトランタでのIFTという食品関係の大きな学会であり、その展示会の企業のブースでマジックをやっていたのがバドでした。彼がセントルイスのIBMやSAMのメンバーを紹介してくれたお陰で、私のセントルイスのマジックライフは、赴任早々に全く予期せぬ形であっという間に始まりました。

バド・ディートリッヒ
  バド・ディートリッヒの似顔絵と著書の”トレードショー・ハンドブック”。
トレードショー・マジックとは、展示会などの企業のブースで、その会社の
商品の宣伝などをマジックで演じるもので、まだ日本には馴染みがありませ
んが、今後は注目される可能性があるマジックの分野と思います。

 蛇足ですが、バドとの一番の思い出は、帰国後に彼の金婚式のパーティに呼んで頂いた事です。なんとかアメリカ出張を金婚式の日程に合わせる事ができ、パーティではミリオンカードを演じる栄誉を得ました。マジシャンのゲストの中には、あのマジック・クリスチャンが、わざわざオーストリアから参加していました。彼のステージでの演技は無かったものの、マーカ・テンドーに影響を与えたと言われるカードロールを目の前で見せて頂きました。
 94年にセントルイスに赴任した時に、ジャスティン・ウィルマン(Justin Willman)という、おそらく当時12、3才のかわいいマジシャンがいました。小さな妹を助手に鳩出しをやるのですが、べア出しやバニッシュ(投げ上げてシルクに変化)など、すでに日本の学生マジックのレベルで驚きました。後にジュニア部門で参加したIBMのコンテストでもシニアに混じってファイナリスト・アワードも受賞しています。

Justin Kredible
  当時は小さかったジャスティンが、
マルチタレントとしてTVでも活躍していました。

 この記事を書くことがきっかけにで、ネットで調べてみたら、ジャスティン・クレディブル(Justin Kredible)の芸名で、マジックキャッスルなどでのマジックだけでなくコメディアンやTVパーソナリティなど、マルチタレントとして活躍している事が判りました。彼の芸名は高校時代から使っていたもので、Just incredible(信じられないほど素晴らしい)と同じ発音です。


 今後も、多くのマジシャンがセントルイスから育つ事を祈念しています。
次回は、バド・ディートリッヒも選ばれている「セントルイスのマジックの殿堂」について紹介します。

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