長谷和幸

第六回 日本マジックアカデミー
「突撃!ヒューマン!!(TVシリーズ)」

今回は初めて邦画、しかもTV シリーズを取り上げます。

まずはその前に、昭和40年代の怪獣ブームのおさらいを…。

日本の怪獣文化は、1954年の東宝「ゴジラ」に始まります。当時の怪獣映画はあくまで、大人を視聴対象として製作されていました。それが1962年「キングコング対ゴジラ」辺りを境に、ファミリー向け映画として徐々に対象年齢層に子どもを含めて製作されるように変質してゆきます。東宝創立30周年としてアメリカのRKOに多額のライセンス契約料を支払って製作された同作が大ヒットしたことから(特撮映画としての観客動員1120万人の記録は、今もって破られていません)、以降特撮怪獣映画は、子どもをメインターゲットとして製作されるようになります。

そして1966年、ゴジラの特技監督・円谷英二がテレビ進出をはかったTBS「ウルトラQ(TVシリーズ) 」続く同年「ウルトラマン(TVシリーズ)」が最高視聴率40パーセントを越える大ヒットを記録したことから、空前の特撮怪獣ブームが巻き起こったのは、60歳前後の男性でしたらどなたもご存知の通りです。

「ウルトラQ(TVシリーズ)」メインタイトル

ただしあらゆるブームの例に漏れず、この流行も2~3年後の1968年には沈静化してゆきます。しかし水面下での子ども達の怪獣好みには根強いものがあり、約3年の沈黙の後 1971年には3本の特撮テレビ番組が再び大ヒットします。それが「宇宙猿人ゴリ(TVシリーズ)」(のち「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」更に「スペクトルマン」に改題。ピープロ/CX)「仮面ライダー(TVシリーズ)」(東映/毎日放送)「帰ってきたウルトラマン(TVシリーズ)」(円谷プロ/TBS)であり、後の評論家はこれを、第二次怪獣ブーム、または変身ブームと名付けました。

「仮面ライダー(TVシリーズ)」カラー・スチール

結果的にこのブームも更に2~3年続きますが、翌々73年には、ゴールデンタイムの地上波では毎日どこかの局で特撮番組が放映されている、という現在では考えられないブームのピークを迎えます(もっとも、当時は地上波しかありませんでしたが)。
そうなると、テレビ制作者というのはつまるところクリエイター集団ですから、「ウルトラマン(TVシリーズ)」の確立した“正義のヒーローが、悪の怪獣・宇宙人を退治する”というパターンとは、何とか違う物で高視聴率を狙おうと躍起になります。

「ウルトラマン(TVシリーズ)」カラー・スチールとメインタイトル

例えばブームの火付け役「宇宙猿人ゴリ(TVシリーズ)」「帰ってきたウルトラマン(TVシリーズ)」では、主人公は自分の意思で自由に変身することが出来ません。また「シルバー仮面(TVシリーズ)」の主人公達は、宇宙人が地球を狙っていることを誰にも信じてもらえず、果てしない放浪の旅を続けます。「アイアンキング(TVシリーズ)」の敵は、日本統一を図る大和朝廷により滅ぼされた、古代少数民族の末裔です。
そんな中、最大の異色作と評されるのが、今回取り上げる「突撃!ヒューマン!!(TVシリーズ)」なのです。

「突撃!ヒューマン!!(TVシリーズ)」は、1972年10月7日から12月30日まで、日本テレビ系列にて放映されました。覚えている方がほとんどいらっしゃらないのは、裏番組が「仮面ライダー(TVシリーズ)」(放映した毎日放送は、当時テレビ朝日、現在はTBS系列)だったためです。視聴率的に苦戦し、惜しくも1クール13話で終了しました。

同作が最も異色なのは、それがフィルム撮影によるドラマではなく(当時の特撮番組のほとんどは、16㎜フィルムによる撮影)、ビデオによる劇場公開収録だった点です。東京近郊のホールや公会堂を巡って収録が行われました。
そうなると、ドラマは当然劇場の舞台上で展開され、時には客席のリアクションも挿入されます。そして最大の特色が、ヒーロー番組であるにもかかわらず映像の特殊効果、いわゆる特撮が一切使えない点にあるのです。

一計を案じた番組スタッフは、特撮の代わりに舞台上でのマジック・イリュージョンを用いることに思い至りました。そこで白羽の矢が立ったのが、当時(株)テンヨーを独立した加藤英夫氏率いる「日本マジックアカデミー」だったのです。同アカデミーは、マジック用具の製作・販売や冊子の出版等、様々に活動しますが、最大の功績としては、極めて内容の充実した雑誌「ふしぎなあーと」を発行したことがあげられるでしょう。同誌内で、「突撃!ヒューマン!!(TVシリーズ)」の製作裏話のような記事も、掲載された記憶があります。そのアカデミーも数年後には活動を休止し、加藤氏も古巣のテンヨーに戻られました。

その日本マジックアカデミーの数々の活動の内の一つが、この「突撃!ヒューマン!!(TVシリーズ)」への製作協力です。例えばヒーローのヒューマンは、観客の頭上を飛行して舞台上に登場しますが、これにはワイヤーによるフライングの技術が用いられます。また第2話に登場する球形の怪獣シビレッタは舞台上をフワフワと浮揚しますが、これにはフローティングボールのテクニックが応用されています。その他、悪役に捕らえられた主人公やヒロインを相手に、剣刺しやギロチン・人体切断のイリュージョンが頻繁に演じられました。敵方の主役(キングフラッシャー)の頭部をヒューマンがいきなり引き抜くのは、おそらく当時評判になっていた、アル・カーシーのアクトの影響ではないでしょうか(後年、アル・カーシーを日本に招聘したのは、他ならぬ日本テレビでした)。

実際には、日本マジックアカデミーは主にクロースアップマジックを守備範囲とする会社であり、イリュージョンの持ち合わせも無かったため、更にプロマジシャン村上正洋氏へと話が持ち込まれ、実務は主にその人脈にてこなされました。

番組自体についても解説しておきましょう。同番組の美術デザイナーは成田亨、一部の怪獣造形は高山良策です。と申し上げても分からない方がほとんどだと思いますが、お二人の本職は彫刻家・画家です。そしてこのコンビは円谷プロの「ウルトラQ(TVシリーズ)」「ウルトラマン(TVシリーズ)」「ウルトラセブン(TVシリーズ)」等でペギラ・ガラモン・ゴモラ・レッドキング・ゼットン・エレキングetc. 今に残る数々の名怪獣を生み出し、令和に至る今も特撮史上最高のデザイン・造形コンビとの評価が定まっています(惜しくもお二人とも、既に鬼籍に入られました)。
そのコンビが、1970年以降タッグを組んだ唯一の作品がこの「突撃!ヒューマン!!(TVシリーズ)」なのです。出演者では、この後すぐにキャンディーズのスーちゃんとして大活躍する田中好子さんが、ヒロイン役でレギュラー入りしていることが特筆に値します。

さて、そんな「突撃!ヒューマン!!(TVシリーズ)」ですが、実は現在、視聴することは不可能な状態にあります。理由は先に申し上げた、同番組がVTR収録だったことが原因であるとの説が最有力です。当時は現在と比べてまだまだビデオテープが高価だったため、人気番組等一部の例外を除き番組を収録したテープは次々と上書きが重ねられ、結果多くの番組が永久に失われてきました。昭和の時代のバラエティーやドラマ番組がなかなかソフト化されないのは、それが理由の一つなのです。

突撃!ヒューマン!!ステレオ・レコードジャケット表紙

様々な方のインタビューを拝読すると、当時の放送関係者にとっては「番組は一度流してしまえばそれきりのもの」「二次使用の概念そのものが無い」という認識が、どうやら一般的だったようです。(脚本家佐々木守氏曰く「放送とは、送りっ放し」) そんなわけで「突撃!ヒューマン!!(TVシリーズ)」も、本放送後に本当に1度だけ再放送されたのみで、そのビデオテープには他の番組が重ね録りされ、もはや存在しない可能性が非常に高いのです。今回の私の記述が通常に比較してどことなく表面的なのも、実は残された数少ない資料と、一度だけ観た当時のおぼろげな記憶を頼りに書いているためです。

突撃!ヒューマン!!レコードジャケット表紙の裏面

しかしまだ、例えば番組関係者がオンエアを個人的に録画している、等の可能性は完全には否定しきれません。例えばNHK「少年ドラマシリーズ(TVシリーズ)」のDVD化は、当時番組を録画していた熱心なファンからの素材提供を受けて実現したものです(家庭用ベータは1975年、VHSは1976年発売開始。
Uマチックは前年[1971年]既に発売されていたが、高価なため一般家庭にはほとんど普及していなかった。しかし一部放送関係者宅の他に、小学校の視聴覚教室等にビデオデッキが有った。これは、番組の放送時間に授業を合わせる訳にはゆかず、視聴時間の方を時間割りに合わせる必然性があったため)。
この番組も、いつか再び陽の目をみることを願って止みません。

キングフラッシャーとフラッシャー軍団:カード

突撃!ヒューマン!!カラープリントアルバム表紙の裏面

最後にここだけの裏話を一つ。
私がお世話になっているよく存じあげる方が、実は加藤・村上両氏の依頼で敵役の戦闘員(この番組ではフラッシャー軍団と呼ばれる)の中に入っておられました。私がそのことを直接お尋ねするとその方は「そうそう、成田さん…。凄い芸術家で、感じの良い方でねえ…」と、目を細めて昔を懐かしく思い出されていました。
その方はそれから十数年後、TV番組で再び仮面を被ることになるのですが、それはまた別の機会に、ということで。

(今回の連載に関しては、当時の関係者の方々がお読みになられると、もしかすると数々の事実誤認があるかもしれません。その際には、深くお詫び申し上げます。どうか、一少年視聴者の思い出話としてお許しください)

(今回の連載に関しては、当時の関係者の方々がお読みになられると、もしかすると数々の事実誤認があるかもしれません。その際には、深くお詫び申し上げます。どうか、一少年視聴者の思い出話としてお許しください)

※参考資料:
 Wikipedia

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