土屋理義

マジックグッズ・コレクション
第3回

天勝一座の「奇術画報」

 明治、大正、昭和の三代にわたって絶大な人気を博した女流手品師-初代松旭斎天勝(1884-1944)。この一座が大正4年(1915年)3月を第一号として発行したのが「奇術画報」という10ページの小冊子です。一号の表紙は洋装の天勝が手に西洋の扇を持って、椅子に腰をかけ足を組んでいます。二号、三号は同じ写真で、右手にショール、左手に花を持って微笑む若き天勝の立ち姿です。

第一号表紙 第二号表紙
第一号表紙
第二号表紙

 編集人の洋洲社天勝座公示部・矢部八重吉(宣伝・海外情報担当、天勝の妹の夫)によれば、「壱回壱萬部を印刷発行して、天勝座の巡業開演中、毎夜入場の看客全部に洩れなく配布するものなるを以って、本冊子に登載されたる廣告の効力は、眞に無限大にして、しかも座ながら全國各地に流布する独特の効果あり」と大げさな宣伝をしています。洋洲社とは、矢部が東京・京橋に創設した出版社で、海外事情を紹介する婦女子向けの啓蒙雑誌「洋と洲」を発行していました。

エビス、サッポロビールの広告 高島屋の広告
エビス、サッポロビールの広告
高島屋の広告

 確かに第一号から大日本麦酒(エビス、サッポロビール)、口臭消しカオール、香水オリヂナル(安藤本舗)、日本蓄音機商会、松屋呉服店、三越呉服店の広告が入っており、二号には星製薬(ショート・ショート作家・星新一の一族会社)、ヤマノ楽器店、三号には高島屋が加わっていて、有名会社の広告料で小冊子の印刷代を賄っていたことが想像できます。
 大正4年3月から5月といえば7月に大当たりをする魔術劇「サロメ」(有楽座)の直前で、5月に萩原秀長、君子(後の松旭斎天華)兄妹(いずれも柿岡曲馬団出身)などの離脱があり、一座は出し物の新機軸を考えあぐねていた時期です。

第一号プログラム
第一号プログラム
第二号プログラム
第二号プログラム

 第一号に掲載されたプログラム(3月・歌舞伎座公演)を見ても、小奇術の連続と従来からある水芸(噴水術)や自転車曲芸、ダンス、軽音楽、コメディーマジックなどが続き、わずかに新趣向の魔術「宇宙の少女」(人体浮揚か?)がある程度です。第二号(4月・明治座)、第三号(5月・演技座)のプログラムは同じで、一座娘子連の8人の顔写真が載っています。おそらく絹子、初子(道具方児玉定次郎の妹?)、天花(天勝の遠縁、営業担当高橋徳治の妻、娘子連のリーダー格)、百合子(ネタ製造主任渡辺の妻)、園子、文子、静子、花子たちと思われますが、どの写真が誰なのかはわかりません。第二号から一座を抜けた萩原秀長(自転車曲乗り)、君子兄妹の名はありません。

奇術種あかし・玉抜きの奇術 数学の当て物
奇術種あかし・玉抜きの奇術
数学の当て物

 また種明かしとして「玉抜き」や「数学の当て物」のやりかたが載っています。さらに一座の格調を高めるためか、奇術に関する英文記事(ルス・エベレット「奇術とは何ぞや」や「海外に響きわたる天勝の芸術、外人の眼に映ぜる奇抜なる水芸」)が、英語の得意な矢部が書いたと思われる日本語訳と共に頁が割かれています。

奇術とは何ぞや 数学の当て物
奇術とは何ぞや
海外に響きわたる天勝の芸術、
外人の眼に映ぜる奇抜なる水芸

 「奇術画報」の第四号は名古屋(御園座?)で発行されたようですが、何号まで出されたか不明です。プログラム入りの小冊子を作って公演の際に配ることは、その後もしばらく断続的になされたようです。

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